日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

幸田露伴【運命】46

【訳】 ここにおいて南軍は橋南にとどまり、北軍は橋北にとどまり、対峙して数日すると、南軍は兵糧が尽きて、蕪を採って食べはじめた。燕王はいった、南軍は飢えたぞ、さらに一二日して食糧が集まったらこれを破るのは簡単ではない。 そこで千人余りの兵で…

幸田露伴【運命】45

【訳】 建文四年正月、燕の先鋒・李遠は徳州の副将であった葛進を滹沱河に破り、朱能もまた平安の将・賈栄らを衡水に破ってこれを捕虜にした。 燕王はすぐに館陶より河を渡って東阿を攻め、汶上を攻め、沛県を攻めて攻略し、ついに徐州へ進み城兵を威して出…

幸田露伴【運命】44

【訳】 燕王が挙兵して既に三年、戦いに勝ったといっても、得たのは永平・太寧・保定だけで、南軍は出没して止むことがなく、いったん得てもすぐに棄てなくてはならないことも多く、死傷者も少なくなかった。 燕王はここにおいて、ため息をついて言った、毎…

楽語薬語

(随時追加) ・余勢を駆る(よせいをかる) 何かをやり遂げた勢いに乗って別のことをやり遂げようとする。はずみに乗じる。 「予選で大勝した余勢を駆って一気に決勝戦まで勝ち進む」 ・随伴(ずいはん) ❶供としてついていくこと。また、供として連れてい…

幸田露伴【運命】43

七月、平安は兵を率いて真定より北平に到り、平村に止営した。平村と城との距離は五十里にすぎない。 これを知った燕王の世子は危険を知らせた。燕王は劉江を召して策を問うた。劉江は兵を率いて滹沱河を渡り、旗幟を張り、たいまつを挙げ、大いに軍容を盛ん…

幸田露伴【運命】42

【訳】 四月、燕兵は大名に駐留した。 燕王は斉泰と黄子澄が退けられたのを聞き、書を奉って呉傑、盛庸、平安を召還せられるようにと乞い、そうしなければ撤収はできないと言った。 建文帝は大理少卿・薛嵓を使いにやって、燕王とその将兵たちの罪を許し本国…

幸田露伴【運命】41

【訳】 旗は世子のもとに届いた。 この時、降将の顧成がその場にいて旗を見た。 顧成の先祖は船頭であった。 顧成は偉丈夫かつ勇敢で、怪力の持ち主であり、全身の花文は異様で人を驚かせた。 太祖に従い、そのそばを離れなかった。 昔太祖に従った時、その…

🌟幸田露伴『運命』について

・『運命』(うんめい)は、幸田露伴が雄大な叙事詩調で描く文語体の歴史小説。初出は雑誌『改造』1919年(大正8年)4月創刊号に掲載。 概説1398年、明朝の太祖洪武帝が崩じ、孫の建文帝が即位した。心やさしいが気弱な22歳の皇帝だった。 皇帝の地位安定の…

幸田露伴【運命】40

【訳】 呉傑、平安は、盛庸の軍の救援に向かおうとして、真定より兵を率いて出たが、あと八十里というところで盛庸の敗れたことを聞いて真定へ戻った。 燕王は真定の攻めがたいのをみて~と流言して、呉傑らを誘い出した。 呉傑らはこれを信じてついに滹沱河…

幸田露伴【運命】39

【訳】 燕王はついにまた軍を率いて出兵した。 将兵に諭していうには、戦場では死を怖れる者は必ず死に、生を捨てる者は必ず生き残る、おまえたちも力を尽くせ。 三月、盛庸の軍と來河で交戦した。 燕の将譚淵、董中峰らは南軍の将荘得と戦い死に、南軍はま…

幸田露伴【運命】38

【訳】 この戦いのはじめ燕王の軍が出発する際、道衍はいった、必ず勝ちます、ただ両日かかるだけです。 東昌から帰還すると、王は多くの精鋭を失い張玉が戦死したので少し休みたかった。 すると道衍はいった両日とは〜、東昌での戦いはもう終わりました、こ…

幸田露伴【運命】37 「東昌の激戦」

【訳】十二月、燕王は河に沿って南に下った。盛庸は兵を出して後を襲ったが及ばなかった。王はついに臨清に至り、館陶に駐屯し、次に大名府を奪いとり、方向を変えて汶上に至って済寧を奪った。盛庸と鉄鉉は兵を率いてその後を追い、東昌に駐屯した。このと…