日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴【運命】45

【訳】

建文四年正月、燕の先鋒・李遠は徳州の副将であった葛進を滹沱河に破り、朱能もまた平安の将・賈栄らを衡水に破ってこれを捕虜にした。

燕王はすぐに館陶より河を渡って東阿を攻め、汶上を攻め、沛県を攻めて攻略し、ついに徐州へ進み城兵を威して出られないようにして南へ下り、三月には宿州に至り、平安が馬歩兵四万を率いて追ってきたのを淝河で破り、平安の部下の番将・火耳灰(ホルフイ)を捕らえた。

この戦いで火耳灰は矛をとって燕王に迫った。

あと十歩ばかりのところで童信が矢を射って火耳灰の馬にあてた。

馬は倒れて王は逃れ、火耳灰を捕えた。

王はすぐに火耳灰を許し、その夜護衛させた。

諸将はこれをみて危険だと忠言したが王は聞かなかった。

引き続き燕王は蕭県を攻略し、淮河の守兵を破る。

四月、平安は小河に宿営し、燕の兵は河北を占拠した。

総兵官であった何福は力戦して燕将・陳文を斬り、平安は勇戦して燕将・王真を包囲した。

王真はからだに十あまりの傷を被り、馬上にて自ら首をはねた。

平安はますます進撃し、燕王と北坂で相見えた。

平安の振るう矛がほとんど燕王に及ぶ。

そのとき燕の番騎指揮の王騏は馬を躍らせ突入し、燕王はかろうじて脱出することができた。

燕将・張武が苦戦しつつもなんとか敵を退けたが、燕軍はついに勝てなかった。

 


【原文】

四年正月、燕の先鋒李遠、徳州の裨将葛進を滹沱河に破り、朱能もまた平安の将賈栄等を衡水に破りて之を擒にす。

燕王乃ち館陶より渡りて、東阿を攻め、汶上を攻め、沛県を攻めて之を略し、遂に徐州に進み、城兵を威して敢て出でざらしめて南行し、三月宿州に至り、平安が馬歩兵四万を率いて追躡せるを淝河に破り、平安の麾下の番将火耳灰を得たり。

此戦や火耳灰矟を執って燕王に逼る、相距るたゞ十歩ばかり、童信射って、其馬に中つ。

馬倒れて王免れ、火耳灰獲らる。

王即便火耳灰を釈し、当夜に入って宿衛せしむ。

諸将これを危みて言えども、王聴かず。

次いで蕭県を略し、淮河の守兵を破る。

四月平安小河に営し、燕兵河北に拠る。

総兵何福奮撃して、燕将陳文を斬り、平安勇戦して燕将王真を囲む。

真身に十余創を被り、自ら馬上に刎ぬ。

安いよいよ逼りて、燕王に北坂に遇う。

安の槊ほとんど王に及ぶ。

燕の番騎指揮王騏、馬を躍らせて突入し、王わずかに脱するを得たり。

燕将張武悪戦して敵を却くと雖も、燕軍遂に克たず。

 

【感想メモ】
・平安つええええ(小並感)
南軍(建文帝軍)では割と出ずっぱりで結構負けたりもしてるがすぐに軍を立て直してくる印象。
この時点で南軍の武将で頼りになるのはこの人くらいじゃあるまいか。

・ここでの「番将」「番騎」の「番」は漢和辞典によると異国人という意味のようだ。

火耳灰と王騏というのはモンゴル兵?