日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴【運命】37 「東昌の激戦」

【訳】
十二月、燕王は河に沿って南に下った。盛庸は兵を出して後を襲ったが及ばなかった。
王はついに臨清に至り、館陶に駐屯し、次に大名府を奪いとり、方向を変えて汶上に至って済寧を奪った。盛庸と鉄鉉は兵を率いてその後を追い、東昌に駐屯した。
このとき北軍は逆に南にあり南軍が逆に北にあった。北軍と南軍は戦わざるを得ない情勢になって東昌の激戦がついに始まった。

初めは官軍の先鋒の孫霖が燕将の朱栄、劉江のために敗走したが、それからは両軍は自重し、主力が動かないことが十日間を越えた。

燕軍がいよいよ東昌に到着すると、盛庸と鉄鉉は牛を殺して将校と兵士を労い、義を唱え衆を励まし、東昌の城を背に陣を張り、ひそかに火器や毒の石弓を連ねて、粛々と敵を待った。

燕兵はもともと勇壮でずっと戦いに勝っていた。

そこで盛庸の軍を見ると太鼓を鳴らしときの声を上げて迫った。

するとたちまち火器が稲妻のごとく発射され毒の石弓が雨のように注いだので~みな傷つき倒れた。

そこに平安の軍が到着した。盛庸はこのとき自ら軍を指揮し大いに戦った。

燕王は精鋭の騎兵を率いて左翼をついた。

だが左翼は動かず入ることはできなかった。

そこで方向を変えて中堅をついた。

盛庸は陣を開いて王が入るにまかせておき、急に閉じて厚く周りを囲んだ。

燕王は突撃して敵を大いに討ったが出ることができず、ほとんど捕虜となろうとした。

朱能、周長らは王が危ういのを見て、韃靼騎兵を放ち盛庸の軍の東北角を攻めた。

盛庸はこれを防がせて囲みはやや緩んだ。

朱能は分け入って死闘し王を助けて戦場から脱出した。

張玉もまた王を救おうとし、王がすでに脱出したのも知らずに、盛庸の陣に突入して、縦横に奮戦し、ついに苦闘して死んだ。

官軍は勝ちに乗じて、~、燕軍は大敗し逃走した。盛庸は兵をはなってこれを追撃し、多くの者を殺傷した。
この戦いで燕王はたびたび危険な目に会ったが、諸将は帝の詔を奉じて殺傷しようとはしなかった。
燕王もまたそのことを知っていた。
王は騎射にもっとも長けていたので追撃する者は王を斬ることはできず、王に射殺される者が多かった。
たまたま高煦が華衆らを率いて来て追撃していた兵を撃退し逃れた。
 燕王は張玉が死んだことを聞いて、ひどく悲しみ、諸将と語るたびに、東昌のことが話題になると、張玉を失ってからというもの、私は今まで寝食~。そうして涙が止めどなく流れた。諸将もみな泣いた。後に功臣をたたえるのに張玉を第一にし、河間王として爵位を与えた。

※訳文中の〜は不明箇所。

 

【原文】

十二月、燕王河に循いて南す。盛庸兵を出して後を襲いしが及ばざりき。王遂に臨清に至り、館陶に屯し、次で大名府を掠め、転じて汶上に至り、済寧を掠めぬ。盛庸と鉄鉉とは兵を率いて其後を躡み、東昌に営したり。此時北軍却って南に在り南軍却って北に在り。北軍南軍相戦わざるを得ざるの勢成りて東昌の激戦は遂に開かれぬ。

初は官軍の先鋒孫霖、燕将朱栄、劉江の為に敗れて走りしが、両軍持重して、主力動かざること十日を越ゆ。

燕師いよ〳〵東昌に至るに及んで、盛庸、鉄鉉牛を宰して将士を犒い、義を唱え衆を励まし、東昌の府城を背にして陣し、密に火器毒弩を列ねて、粛として敵を待ったり。

燕兵もと勇にして毎戦毎勝す。庸の軍を見るや鼓譟して薄る。火器電の如くに発し、毒弩雨の如く注げば、虎狼鴟梟、皆傷ついて倒る。

又平安の兵の至るに会う。庸是に於て兵を麾いて大に戦う。燕王精騎を率いて左翼を衝く。左翼動かずして入る能わず。転じて中堅を衝く。庸陣を開いて王の入るに縦せ、急に閉じて厚く之を囲む。

燕王衝撃甚だ力むれども出づることを得ず、殆んど其の獲るところとならんとす。朱能、周長等、王の急を見、韃靼騎兵を縦って庸の軍の東北角を撃つ。庸之を禦がしめ、囲やゝ緩む。能衝いて入って死戦して王を翼けて出づ。張玉も亦王を救わんとし、王の已に出でたるを知らず、庸の陣に突入し、縦横奮撃し、遂に悪闘して死す。

官軍勝に乗じ、残獲万余人、燕軍大に敗れて奔る。庸兵を縦って之を追い、殺傷甚だ多し。

此役や、燕王数々危し、諸将帝の詔を奉ずるを以て、刃を加えず。燕王も亦之を知る。王騎射尤も精し、追う者王を斬るを敢てせずして、王の射て殺すところとなる多し。適々高煦、華衆等を率いて至り、追兵を撃退して去る。 

燕王張玉の死を聞きて痛哭し、諸将と語るごとに、東昌の事に及べば、曰く、張玉を失うより、吾今に至って寝食安からずと。涕下りて已まず。諸将も皆泣く。後功臣を賞するに及びて、張玉を第一とし、河間王を追封す。

 

【感想】

燕王率いる北軍は挙兵以来、初の大敗。

燕王の豪傑を逆手にとって誘い込み包囲した南軍・盛庸はなかなかの知将ですな。

ただ建文帝の詔があるため殺すことはできず逃げられてしまう。