日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

老くじらの最期

(中年のくじら)

爺さんあんたはもう歳だ、ふさぎこんでため息ばかり 

ろくに動きもしやしない

昔は四海を股にかけあっちへこっちへ旅してた

北の果てから南の果て 東の果てに西の果て

行ったことない場所なんてなかったもんさ

シャチどもに囲まれて戦ったこともある 

ニンゲンに殺られそうになったこともある

頭や腹の傷はその時ついたって自慢してた

それがどうだい、今じゃめんどくさそうに上へ上がっては日向ぼっこ

若い奴が宙に跳ねてるのをぼんやり見てるだけときたもんだ

おまけに最近は食欲もガタ落ち

若い時は逃げるニシンどもを丸呑みしてたってのに

爺さんあんたはもう歳だ

 

あるとき爺さん出かけていった

大きな大きな珊瑚礁の広がるずっと先のそのまた先の寂しいところ

岩ばかりの底に大きなヒビが南北に走って中は真っ暗

どこまで深いか見当つかぬ
あんまり気味が悪いからみんなめったに近寄らない

ところが爺さん、そのひびの中に入っていった

いやそれがさ、まるで迷った風もなく一直線

スッと入って見えなくなった
一体何しに行ったんだ

 

(吹き飛ばされたウリクラゲ)
ああいたた
ああまだ目が回ってふらふらする
なんだいさっきのは
いきなり吹き飛ばされちまったよ
なんだかずいぶんでっかいものだ
おかげで腕がからまっちまった
こいつはほどくに難儀だなあ
それにどこにいるのかわからない
あそこよりずいぶん明るいのは確かだけれど
なんだか眩しくっていけないや
それにあったかくて何だかからだがむずむずするぞ

いやこいつは踊らずにいられない
そうれくるりくうるりと
へへ、どんなもんだい
くるりくうるり

 

(色鮮やかな魚)
一体どういうつもりだろ
あいつすうっとあんなとこへ潜っていったよ
みんなあそこを横切るだけでもこわいっていうのに
いやだよ、なんだか胸騒ぎがする
え、何?
死ににいった?
ふうん なるほどね
そういやずいぶん歳とってたようだよ
頭やらおなかに大きな傷が何本もあってさ
どうやったらあんな傷がつくもんだろ
あ、また聞こえた
あれはあのあいつの仲間かねえ
姿は見えないけどずいぶん悲しそうに鳴くじゃないか

やっぱり死ににいったのかねえ

 

(後をつけるサメ)
馬鹿、近づきすぎだ
気づかれねえように距離をとれ
ああそれくらいだ
そのくらいなら大丈夫
なに腹減ってしかたねえ?
まあまて もう少しの辛抱だ
爺がくたばちっまえばこっちのもんだ
じきに腹一杯喰えるって
誰にも邪魔はさせねえよ
まあ欲言えばもうちっと若えのをと言いたいとこだがこの際だ
贅沢はいわねえ
食えるだけでもよしとしとこう
それにしてもよく気づいたな兄弟
知らせてくれて感謝するぜ
久々のでかい獲物だ、抜け駆けはよくねえ、みんなで分けあわねえとな
ーくそ、馬鹿に冷えてきた
おまけに暗くてよく見えねえし
こうなると鼻だけが頼りだな
いいか絶対逃がすなよ
これのがしたらまたイワシばっかくわなきゃならねえ
もうあいつらは食い飽きた
数ばっか多くてちっとも腹の足しになりゃしねえ
なにどこまで下りるのかって?
さてな、爺にきいてくれ
俺だってここに入ったのは初めてなんだから・・・まったく気味の悪いところだぜ
おまけに雪のやつがまとわりつきやがってうざいったらねえ
さっさと止みやがれってんだ、こん畜生

 

(逆立ちシーラカンス) 
いやはやこうしていると
なんともいえぬ良い気持ち
わしが逆さまなのかまわりがそうなのか
いやもう上でも下でもどっちでもいい
わしはこの姿勢が好きなんだ
とても平和で満たされた気分
腹も減らなきゃ渇きもせぬ
ずっとこのままでいたいくらい
ほんとうに気持ちが安らーおお、おおっと、今のはなんだ
なにかとてつもなく大きなものがそばを通ったぞ
おかげで目が回ってしまった
ええいこの程度で情けない
まだまだわしも修行がたりぬ

よっこらしょっと、とりあえず体勢を立て直して-しかし、なんだな、いつまでもこうしていていいものかな
もっと明るいところへいって他の者たちといっしょに遊んだほうがいいんじゃあるまいか
こんなところでひとり逆立ちしてる場合だろうか
ううむ、さきほど姿勢を崩されたせいか
ここにきて妙に不安になってきたぞ
ここでこうしているべきか
それとも上にいこうか どうするか

ちっとも決められぬ
いやはや困ったことだわい。

 

(深海エビの歌)
・・るる・る
ぐわ・ら・・ぐ・わ・ら
こいこいこい、ふってこい
まるいのしかくいのふってこい
る・るる・るるるる・る
ぐわら・ぐわら
あの口この口さらりとよけて
こいこいこいここまでこい

 

(ソコボウズの歌) 
くねくねくね
にょろにょろ、にょろり
落ちたぞ、落ちた、何落ちた
見たことないよなでかい雪
エビに貝にアンコウまで
みんな泥の中からとびだして
いやはやたいした騒ぎさね
いつまでもふわふわ浮いてらあ
目はなくともそれくらいわかるのさ
それにしてもいいにおい
サメどもすっかり夢中だな
ばりばりぼりぼりすげえ音
ますます腹がへってきた
でもここは我慢だ我慢
まずはあいつらが行っちまわねえと
なにしろやつらは凶暴だからな、うかつに近づくと食われちまう
ああ腹へった腹へった
くねくね、くね

 

(再びサメ)
食い破れ食い破れ
さあこいつだこのときだ
ああうめえうめえ
ふるえちまわあ
こいつはまったく大した御馳走だ
わざわざこんなとこまで来たかいあったぜ
さあさあ、一口でも多くガブリといけ からだじゅう口にして食いまくれ

 

(巻き貝の親子)
ねえおっかさん

なあに
おいらさっきからからだが重くて仕方ないや
どうしたんだろう
こうして進んでいてもどんどん重くなってくるみたい
そう、それはね雪がふってるからよ
雪?それってなに?
たまに上の方から落ちてくるものよ
ひとつひとつは軽いんだけど、それが積もると重くなったりするの
ふうんそんなものがふってるのか 

全然わからなかった
けどどんどん重くなって体が埋まりそうだーあっ、おっかさん、あそこだけなんだかぼうっと明るいよ
どうしてだろう?
どこ?ああ、あれはねーホタルさん、ときどきここらを掃除してきれいにしてくれるの
掃除してるときはいつもあんな風に光るのよ
ふうん、掃除してるとこ見に行っても良い?
だめだめ、こわいのがいるかもしれないからね、あっちへいってはだめですよ
ちぇ、つまんないの
けどほんとに明るいわね
こんなのははじめて、よほどの大掃除みたいねえ

 

(どこかから響く声)
こうして爺さんは死んだのだ。

腹ペコ連中に腹いっぱい食わせて死んだのだ。

今では爺さん骨になって、雪にしんしん、しんしん、埋もれてく。

車輪虫

 おいきゅうりはどこにいった
 その日散歩から帰ってきた柏原は妻に尋ねた
 きゅうり? 流しで朝食の準備をしていた留美は振り向いた
 前にここにたくさんあったろ どこにいったんだ
 もう全部漬けちゃったわよ 明日にはおいしく食べられるけど なんで?
 柏原は答えずに冷蔵庫を閉めるとツカツカと妻の隣までくると流しを覗いた
 ちょっと何?
 あった
 彼は三角コーナーからひょいと小さなものをつまみ上げた
 浅漬けした際いらないので捨てていたきゅうりのヘタであった
 そんなものどうするの
 ちょっとな 
 彼は台所を出ると足早に二階に上がっていった。
 また変なもの拾ってきたな
 留美は直感した。
 夫が早朝の散歩を始めて1ヶ月になる
 会社の健康診断でメタボ気味だというので始めこれまで雨の日も一度も休んだことはなく、毎朝早起きして近所のコンビニに新聞を買いに行くというのが日課になっている
 毎日往復で30分ほど歩くおかげか、本人は体調がいいといって喜んでいる
 それはいいのだがそのたんびに色々なものを拾ってくる。
 最初はコンビニでコーヒー飲んだついでにと言ってスティックシュガーを三つもらってきた
 無料だからというのだがそれからずっともらってきて今は30袋にもなった
 それが止んだと思ったらその次には石ころを拾ってきた
 ここに帯が入ってるだろ、こういうのは珍しいとしきりに感心するが留美から見るとどう見てもただの石である
 柏原は文鎮にするからといって今では自室に10数個も転がっている
 石の次は座布団を拾ってきた。近所のゴミ置き場に捨ててあったらしい、まだ新品同様だ、勿体無いから使うと言ってこれまた自室に置いてある
 みっともないしあんまりやってると不審者扱いされるからやめるよう注意したのはつい昨日のことだ
 今度はなんだろう
 留美は皿を洗う手を休めて考えた
 きゅうりというからバッタでも捕まえて来たのだろうか エサにするつもりなのかもしれない ああいやだいやだ
 留美は夫と違い、生まれ育ちも田舎だったが小さい頃から虫は大の苦手だった
 少しは私の話も聞いてくれたらいいのにホント言うこと聞かないんだから
 留美はため息をついてがちゃがちゃと皿を洗い出した。

 

柏原は階段を上がり自室に戻った。
 初夏とはいえまだ朝の6時半だから部屋の中は薄暗い。
 ツカツカと机にいきスタンドのスイッチを入れる。それから机の上の段ボール箱を覗き込んだ。
 箱の隅に小さな虫がうずくまっている
 体長は5センチほどで 全身が黒く光沢があり丸っこくそこだけ見るとカナブンそっくりだ
 柏原は机上の老眼用の眼鏡をかけると虫を指でつまみ上げ、あかりに近づけて観察した。

本来なら後肢があるところに一対の小さな車輪が付いている。

車輪といっても自転車のようなスポークなぞはついておらず、円盤が胴の両側にくっついているだけのチャチな作りだ。円盤は硬くそれなりの強度はあるようだが車輪と胴を繋ぐ軸も細く頼りなげで、無論軸受なぞもない。みれば見るほど駄菓子のおまけのクルマのそれと大差ない
 柏原は虫を箱に戻すと持ってきたきゅうりのヘタを虫の目の前においた
 虫は気づいた様子もない。相変わらずじっとしたままだ。
 柏原は箱を机の横のテーブルの上に移すとパソコンに向かった。今は会社の繁忙期で家に持ち帰って仕事をしているのだが、新しくインストールしたソフトに今だに慣れず苦労していた
しかも老眼のせいかすぐ目が疲れてしまう。
ため息をついて画面から目を離し箱を覗いてみるといつの間にか虫はきゅうりに口をつけていた

短い触覚がかすかに揺れている

仮にこの車輪が回ったとしても

柏原は観察しながら思った。

凸凹のある地面を移動するには不利だろう。車輪というのは本来平坦なところを移動するためのものだ。一体なぜこんなものがついているのか
彼は改めて不思議に思った。

 

 二日後一人息子の陸が帰省した
 帰省したといっても
 近いうちに大学の陸上部の合宿に行くから明日には帰るという
 留美も彼も久々に帰ったのだからしばらくゆっくりしていけというがもう約束したからとにべもない
 せわしないことだ
 柏原は思ったがそれ以上何も言わなかった
 その晩彼がまたパソコンに向かって仕事していると陸が夕食に呼びにきた
 柏原がすぐ行くとキーボードを叩きながらいうと

うわ、なにこれ

机の上の箱を覗き込んだ陸は興奮して叫んだ
 シャリンムシじゃないのこれ。 はじめてみた
 よく知ってるな
 以前テレビで特集してたから。 絶滅寸前だとか言う奴でしょ。
 絶滅?
 柏原は振り向いた
 うん。田舎でもほとんど見なくなったとか言ってた。どこで見つけたのこれ。
 3日くらい前に公園の近くの木の下で見つけた。散歩の途中だよ 珍しいからハンカチにくるんで持って帰った。
 へえ すごいラッキーだね。えさはきゅうりでいいの?
 そいつの好物だからな  昔からそうなんだ
 詳しいんだね
 小学生の頃、家の近くの神社にいくらでもいたからな、よく友達と捕まえて遊んだもんだ
 ふうん
 陸は少し驚いた顔つきだった
 時々読書する以外は特にこれといった趣味もない様子の父親にそんな子供時代があったのが意外だったのだろう。
 かあさんにはいうなよ
 いいけど、飼ってることまだ知らないの。
 わからんが取り合えず何も言わんな。
 とっくに知ってて言わないだけじゃない。まあいいや、とりあえず早く下りて来てよ。
 先に食っててくれ。まだキリがつかん。そうだな、あと20分経ったら行く。
 わかった
 陸が去った後 柏原は車輪虫についてネットで調べた。確かに急激に減少して絶滅が危惧されているとある。以前調べたときは生態や餌のことばかりでこうした情報は見落としていた。
 リンク先を見ていくうちにいつの間にかオークションサイトに出た
 見ると一匹数万円もの売値がついている
 無理もないか
 彼は呟いた
 車輪のついた生き物自体珍しいからみんな集めたがるし、今は絶滅寸前だからな。一人があそこで見つけたとネットで発信でもすればすぐ広まって人が押しかけるだろうし。
陸のいう通り確かに自分はラッキーだったのだ

 さらに調べるうちあるページで手が止まった
 「車輪虫について なぜ車輪で移動する虫はいないのか」というタイトルのとある大学教授の書いた論文だった。
 彼は素早く目を通した
 まず車輪虫の生態について概説があり、それから本論としてこの虫の車輪はなぜ回らないのか、なぜ車輪を回転させて移動する虫がいないのかを考察している。

しかし本論とは言っても前者についてはわずか1ページほどで、後者についての考察が論文の大半を占めている。そうしてエネルギー効率がどうとか代謝がどうとか数式やグラフを並べて車輪を移動方法とする虫のいない理由を説明している。最後にまとめとしてこんなことが書いてある

「以上のようにむしろ この車輪は移動手段としては全く役に立っておらず、それどころか虫にとっては移動の障害となっているばかりでなくエネルギーを無駄に消耗させる「お荷物」でしかない。これは古くからよく知られたことで英名でもfifth wheelbug「第五の車輪虫」と呼ぶくらいである(fifth wheelには役立たずといった意味がある)。近年絶滅の危機が叫ばれるが、むしろこうしたハンデを生まれながら背負っている虫が今まで絶滅しなかったことの方が奇跡であろう。絶滅しなかった理由については古来より諸説あるが今なお不明である。」

 彼は椅子から立ち上がると床の上の箱をのぞいた

3日前できるだけ住んでいるところに近い方がいいだろうと落ち葉を箱に敷き詰めた

虫はその葉の上でじっとしている
 いつ見ても体全体に比べ輪がアンバランスなほど大きい
 指でつまみ上げると 虫はノロノロと前足をバタつかせた
 彼は車輪に指先で触れ回そうとした
 まずは右、それから左
 しかし無駄だった。円盤は固定されたように一向に回ろうとしなかった

彼は自分が小学生のだった頃を思い出した
あの頃には近所の神社の裏の林にこの虫がいっぱいいた。
 たいてい積もった落ち葉の下に潜んでおり、動きがのろいから捕まえるのは簡単だった。
 彼は友人たちと虫を捕まえてはその車軸を次々に折り、車輪だけを集めた
 車輪を無くした虫は前脚だけで逃げるのだがそれがやたらと速かった
 あるいは輪がなくなった痛みがそうさせていたのかもしれないが輪があったときとは雲泥の差だった。
 そのせいもあって柏原たちには虫をいじめているという気は少しもしなかった。 むしろ邪魔な荷物をとって軽くしてやった気分だった

彼のクラスに岡村という この虫の車輪を誰よりも集めている同級生がいた。

 ある日学校に大きな巾着を持ってきて中を見せた。それには虫の車輪がいっぱい詰め込んであった。彼は自慢そうにそれを振ってじゃらじゃらと鳴らした
 どうやってそんなに集めたのかその場にいた彼を含めた全員が聞き出そうとしたが彼は何も答えなかった。噂では父親が会社の社長で金持ちだから人を使って集めさせたという話であった。

あの時のじゃらじゃらという音と尖った顎をあげた自慢げな顔つきはまだはっきり覚えている

その彼にも中学卒業以来ずっと会っていない
 ご飯よ
 突然階下から留美の声が聞こえた

明らかに苛ついている。
 はっとして彼は虫を箱に戻すと階下へ降りていった。

 

 一週間経った

その間に虫は少しも餌を食べなくなり次第に衰弱してきた
 柏原はきゅうりの代わりにキャベツやレタスさらにはブロッコリーを与えたが、少しも食べようとはしなかった
 指でつつくと短いショカクをひょいと動かすが、それさえだるそうである。

 翌朝散歩から戻った柏原は虫の入った箱を持って庭に出た
 そうして玄関近くの草むらに虫を放した。
 箱から滑り落ちた虫は逆さまになって前足をばたつかせた
 一向に起きあがる気配がないので彼がつまんでかえしてやるとやっと前へ動き出した
 なんてことない砂や土くれが柏原の目にはいつになく大きく見えた。 虫は車輪をずりずりとひきずっていく
 そのうち右の車輪が小石に引っかかった
 虫はそれでも強引に前へ行こうとする。小石とは言っても虫からすると大きい。車輪がいよいよ乗っかると虫の体は傾いて今にもひっくりかえりそうになった。仕方なく柏原が石をどけてやろうと手を伸ばした瞬間、石の上の車輪がばたんと地に落ちた。

虫はそれから急に動かなくなった

何やら周囲を伺っているらしい。

全く変な奴だ
じっと覗き込んでいた柏原は思わずくすくす笑い出した


 その晩も柏原は遅く帰ってきた
 疲れが澱のように溜まっていた。とても仕事の続きをする気にはなれず夕食もそこそこにベッドに入ったが、なかなか寝付けない 

明け方近くになってようやくとろとろ眠り、夢を見た
 彼は古代ローマのコロシアムにいた。銀色の甲冑に身を包み、満員の観客が見守る中、騎手として当時の戦車(チャリオット)を走らせている
 しかし彼の乗る二輪車を牽かせているのは馬ではなく、馬ほどもある大きな車輪虫である
 虫の車輪はごろごろ、砂埃をあげながら勢いよく回り、結構なスピードですこぶる気持ちいい
 気づくといつのまにかもう一台戦車が彼の近くを走っている

陸だ

彼と同じような格好をして同じように虫を駆けさせている
 愉快になって互いにハイヤーなどと叫んでどっちが速いか競っているうちに目が覚めた
 枕元の時計を見ると6時すぎ
 留美はもう起きて朝食の用意をしているらしい 階下の台所あたりから物音が聞こえてくる
 彼は上半身だけ起こすとさっきの夢のことを詳しく思い出そうと努めた

次に放した虫と夢との関係を考えた

それからさらにフロイトだの夢判断だのことを考えた
 首をかしげていると妻がご飯よと呼ぶ声が階下からきこえた
 朝食を食べながら 彼は虫を草むらに放したことを伝えた
 あのまま放っておいたら死ぬだけだろうと思ったから戻したと言うと留美は興味なさそうに聞いていた。しかしもう変なもの拾ってこないで下さいよと念を押すのを忘れなかった。
 柏原は黙然としてくった
 食ってしまうと言った。
 やっぱり虫は自然の中で暮らすのが一番だな
 当たり前でしょ。
 留美はそっけなく言うときゅうりの浅漬けをぼりぼり音を立てて噛んだ。
 

【童話】ぽんぽこ

 定吉じいさんの家の玄関前にはたぬきの置き物がおいてありました
 おじいさんの腹の高さほどもある大きなたぬきで笠をかぶって右手にとっくり、左手に帳面をもっています
 そうして少し首をかしげてまん丸い眼をいつも驚いたようにあけて立っていました
 この大たぬきは定吉じいさんのおとうさんのそのまたお父さんのもので、もう何十年もずっとここに置いてあるのです
 左の耳の先が少し欠けているのは おじいさんの孫が遊びに来た時あやまって倒してしまいその時できたものです
 おじいさんはこのたぬきをとても大事にしていて毎朝きれいなタオルでふいていました
 ある夜のことです
 山からまんまるい月が登ってきて山の上にかかりました
 月の光で田んぼや川の水は銀色に輝き、木の葉の影の一枚一枚までくっきりしています。
 おじいさんの家の前の暗かった道も懐中電灯がいらないくらい明るくなりました
 
 お月様 お願いがありやす。
 そのとき玄関先のたぬきの置き物が頭を傾けたままいいました。
 またあなたですか 山の上のお月様はあきれたようにいいました。
 なんどいってもだめなものはだめですよ。
 だめといってもひきさがれねえ。
 おねがいきいてくれるまでなんどでもいいやすーどうかあっしを歩けるようにしておくんなさい。一生のおねがいでさ。生まれてこの方こうずっと立ちっぱなしじゃつまんなくっていけない。ちょっとばかりそこらを歩いてみたいんでさあ。
 お月さまは困ってしまいました
 いつもならこんなお願いを聞くことはありません。こうしたお願いというのは一度かなえてあげるとキリがなくなることを知っていたからです。
 けれどたぬきの置物がそこにもうずっとあって立ちっぱなしというのは本当でしたし、何度もお願いしますお願いしますといいますのでお月様はとうとう根負けしました。
 やれやれ あなたには負けました。
 一度だけ歩けるようにしてあげましょう。
 でも忘れないで、歩けるのは私の光があたってるときだけですよ
 光があたらなくなったらもとにもどって歩けなくなってしまいます、いいですか陰にならないように気をつけて歩いて下さい
 はい はい たぬきの置き物はもううれしくてたまりません。
 おっしゃるとおり気をつけやす。
 決してご恩は忘れません。
 すると急に月のひかりが強くなりました。
 するとたちまちたぬきの置き物のまんまるい目がぬれたようになってぱち、ぱち瞬きました
 傾いていたあたまもまっすぐになって、からだにくっついていた手足もとけました
 ツルツルだった体も今ではしっぽの先までふさふさです。
 こうしてたぬきは二本足で月明かりの中を歩き出しました。
 家の前の畑のほとりをすぎました。
 電柱の灯の下も通りました
 なにしろ歩くのは初めてなのでうっかりしてるところびそうです
 けれどたぬきはもうわくわくして、丸い目をいっそう丸くしてまわりをキョロキョロしながら
 いやこいつはすごい、歩くというのはすごい
 足をこうして たがいちがいにだしてくだけでいろんなものがやってくるぞ。
 ああ田んぼだ電信柱だ、おや何か飛び出してきたぞ なんだ蛙だ よく見るとそこらじゅうピヨンピヨンしてるな やいどけどけ蛙どもああ風だ、草のにおいに花粉の匂い。
 いろんなものが混じってる、いやもうどこまでも歩いていけそうだ。 
 たぬきは田んぼのあぜ道を抜けて小さな橋を渡りました。

 橋の近くの原っぱでは子たぬきたちが組み合ったり、バッタを追いかけたりして遊んでいました。

あまりあたりが明るいので山から遊びにきていたのです
 けれど月明かりの中みたこともないような大たぬきが、人間のように立って、あたりをキョロキョロしながら、こっちへふらふら歩いてきたものですからびっくりして草むらに隠れました
 やれやれくたびれた やっぱりまだ歩くのにゃ慣れねえな ああちょうどいい岩があるな あそこでちょっくら休むとしよう 
 大たぬきは原っぱの中の大きな岩の上に上がるとどっかと腰を下ろし 持っていた徳利からお酒をごくごく飲み始めました
 子だぬきたちはその様子を草むらの中からこわごわ見ていましたがやがて一匹また一匹と出てきました
 そうして岩の上の大たぬきの方をビクビクしながら見上げました
 うん? なんだ お前たちは 
 と大たぬきは酒臭い息で訪ねました

子たぬきの一匹が説明すると

 ふうん そこの山から遊びにきたのか
 ちげえねえ こんないい月だもんな 山ん中でじっとしてられねえやな
 おじさんは誰?どこからきたの?
 一匹が自分の背丈ほどもある大きな丸いお腹を珍しそうに見ながら訪ねます
 俺か 俺は定吉じいさんのとこのたぬきさ 
 子狸たちはまたびっくりしました
 定吉じいさんといえば人間じゃないか ときどき鉄砲でどんどん撃ったりする ひどいめに合わなかったの?
 ひどいめ?とんでもねえ。毎朝きれいにふいてくれたりしてな、おかげでこんな男っぷりよとまたお酒をゴクリ
 それなに? 
 もう一匹がききました。
 ん、これか これはとっくりといいってな さけがはいってるんだ
 ああ うめえ 五臓六腑にしみわたる〜ッ
 ごぞうってなに?
 同じ子がまたたずねます。
 うん それはな ここの中にあるもんのことさ
 大たぬきは丸い腹をポンポン、叩きました
 どうだ おめえたちも一口いかねえか
 大たぬきがすすめるので一匹がおそるおそる
 とっくりに鼻を近づけました
 途端に
 うわくさい、くさい
 その子はひっくりかえると、つんと突き出た鼻を前足でごしごし、こすりました。
 はははははは、そうか臭いか
 大たぬきは大笑いしました
 
 山の上にかかっていたおつきさまはだんだん空高くのぼりました

田んぼから聞こえてくる蛙の声もだんだん大きくなりました
 子たぬきたちはこういう丸く明るいお月様が大好きなのでいてもたってもいられなくなってぽんぽこ、腹づつみを打ち出しました
 すると大たぬきは岩から下りて、腹づつみにあわせて踊りだしました
 ♬ぽんぽん、ぽこぽん
 腹も丸なら月も丸

みんな丸ならよかんべえ
さのよい、よいっと
 狸はかぶっていた笠をとって上下にふったりくるくる回したりして楽しそうに踊っています

あんまり楽しそうなので見ていた子たぬきたちも踊ろうとしましたが大たぬきのように立てないので踊れません

それでやっぱり追いかけっこをしたりバッタを捕まえたりし始めました

 嗚呼面白かった
 大たぬきは踊り疲れるとべったりお尻をつきました
 そうしてぽろぽろ泣き出しました
 おじさん どうしたの なぜ泣いてるの
 ポンポン腹を鳴らしていた一匹の子たぬきがたずねました
 ああ、おじさんはな

ずっとこんなふうに踊ったりしたかったんでえ、ようやくそれがかなってなあ、ちきしょうめ、やっぱり仲間がいると楽しくっていけねえや
 おじさん さびしかったんだねえ
 それから大たぬきは岩の上にのぼって子たぬきたちが遊んだり腹づつみを打ったりするのを見ておりました 
 夜は更けてお月様にだんだん雲がかかってきました

 いや絶景絶景
 大たぬきは岩の上から思いました
 あんな風にお月さんに雲がかかってまるでー
 と、そのとき急にはっとしました
「光があたらなくなったらもとにもどって歩けなくなってしまいます」
 急にお月様が言っていたことを思い出したのです
 こりゃいけねえ、早く家に戻らねえと
 けれどその時にはもう手遅れでした
 月は雲に隠れてしまい、たちまちあたりは暗くなりました
 ごとん。
 岩の上にすわっていたたぬきは大きな音を立てて草の上に転げ落ちました
 おじさん どうしたの おじさん 子たぬきたちはびっくりしてかけよりました
 たいへんだ つめたくなってる おまけに石みたいにかちかちだ どうしよう
 子たぬきたちは大騒ぎ、大たぬきのあちこちをさすったりこすったり、そこらじゅうの落ち葉をあつめてかけたりしました。
 けれど大たぬきはかたくつめたくなったまま、ピクリとも動きません。
 どうしたらいいだろう
 相談しているうちにあたりは明るくなって朝になりました。
 あれだけ大きかった蛙の合唱もすっかり聞こえなくなり、代わって鳥たちがあちこちで鳴き始め、近くの道を車が何台もごとごと、音を立てて通りすぎます。
 子たぬきたちは仕方なく大たぬきをそのままにして山に帰っていきました。

その朝おじいさんが玄関の戸をあけると、どうしたことかたぬきの置物がなくなっています。
 おかしいな、どこにいったのだろう
 誰かが盗んだのだろうか
 おばあさんにいうと、おばあさんは首をかしげて
 あんなものを盗む泥棒がいるとは思えないけど・・・ずっと立ちっぱなしで嫌になってちょっと散歩したくなったんじゃないかしら
 馬鹿を言え、置物が散歩なんぞするものか、ともかく探そうとおじいさん
 お前は家のまわりを探してくれ わしは向こうの道の方へ出てみるから
 そうしておじいさんは急いで道の方に出てみました
 一体どこにいったのだろう、先祖代々ずっと大事にしていたのに
 心配しながら橋を渡ると
 おや、あれはなんだろう。
 おじいさんは立ち止まりました
 向こうの原っぱの真ん中に何か変なものがあります
 行ってみると落ち葉が小山のようにたくさん集まってそこからたぬきの顔がのぞいています
 これはもしかして
 おじいさんは葉をどけました
 ふうむ、色ぐあいといい大きさといいどうもうちのたぬきに似てるな。耳の先っぽだって欠けてるし
 でも変だな、あぐらをかいてるし、それに顔だって違うぞ
 第一、誰がこんなところに持ってきて葉っぱをかけたりなんぞしたのだろう
 いくら考えてもわかりません
 まあいい、とりあえずうちへもって帰ろう
 お爺さんはいったん家へもどりました

それから車に乗ってたぬきのところまで行くと、荷台に乗せて家まで運びました

そうしてたぬきをきれいにタオルで拭いてやると、今度はなくならないように玄関を入ったすぐ正面の廊下に置きました
 それからというもの、定吉じいさんの家を訪れた人は、玄関を入ると紅い顔をしたとろけるような笑顔のたぬきの置物のおでむかえを受けるようになったのです。
 おわり

幸田露伴「運命」51

【訳】

魏国公・徐輝祖は投獄されたが屈せず、武臣はみな帰服したのに輝祖は最後まで永楽帝を戴こうとしなかった。帝は大いに怒ったが元勲であり国舅なので死刑にすることはできず、爵を取り上げて私邸に幽閉するだけとなった。輝祖は建国の大功臣であった中山王・徐達の子であり雄毅誠実、父の達のような気骨のある人であった。斉眉山の戦いで燕を大敗させ、その前後の戦いにおいても常に良将の名を辱めることはなかった。彼の姉は燕王の妃であり、その弟の増寿は南京にいて常に燕のために情報を流していたが、輝祖はひとり毅然として正しきに拠った。端厳な性格や敬虔の行為は良将とのみ言うだけには留まらない、有道の君子というべきであろう。
 兵部尚書だった鉄鉉は捕らえられて南京に連行された。宮廷で背中を向けて、帝と顔を合わせようとせず、正言して屈することなく、ついに磔になった。処刑されるに至ってなお罵り、遺体は釜茹でにされた。
 参軍断事の高巍はかつて言った、忠に死し孝に死ぬのは私の願いであると。彼は南京が陥落すると駅舎で首を吊って死んだ。
 礼部尚書・陳廸、刑部尚書・暴昭、礼部侍郎・黄観、蘇州知府・姚善、翰林・修譚、王叔英、翰林・王艮、淅江按察使・王良、兵部郎中・譚冀、御史・曾鳳韶、谷府長史・劉璟、その他〜人、ある者は屈せずに殺され、またある者は自殺して忠義を全うした。斉泰と黄子澄は捕らえられ屈せず死んだ。
 右副都御史・練子寧が捕縛され宮門に来た。
言が不遜であった。帝は非常に怒り命令してその舌を斬らせて言った、私は周公が成王を補佐したのに倣おうとしただけだと。子寧は舌からの血でもって手で地に成王安在の四字を大書した。帝はますます怒って彼を磔にし、彼の一族は死刑になって屍を市中にさらされ、その数百五十一人に及んだ。
 左僉都御史の景清は、偽って帰服したかのように見せかけ、いつも鋭い剣を衣服に隠し持ち、帝に報いようとしていた。
 八月十五日、清は赤色の服を着て朝見した。これより前に霊台が奏した、文曲星帝座を犯す急にして色赤しと。帝は景清が一人だけ赤色の服を着ているのを見て怪しいと疑った。朝見が終わった。清は勇んで天子を殺そうとした。帝はそばの者に命令してこれを収めさせ所持していた剣を取り上げた。景清は志が遂げられなかったのを知って、立ち上がると大いに罵った。〜がその歯を抉ったがなお罵り、口に含んだ血を直ちに御袍に吹きつけた。帝は命じてその皮を剥ぎ、長安門に繋ぎ、骨肉を砕磔した。景清は帝の夢の中に入って剣をもって追いかけ玉座をめぐった。帝は目覚めると景清の一族を殺し、村里も廃墟となった。
 戸部侍郎・卓敬が捕らえられた。帝はいった、おまえはこれまで諸王を裁抑してきた。今度は私に仕えないか。敬はいった、先帝がもし私の忠告を聴いていたなら殿下はここにいることができたでしょうか。帝は怒って殺したくなった。
 しかしその才能を憐れんで投獄し、彼を諷するに管仲・魏徴の事を述べた。帝は卓敬を配下にする腹づもりであった。しかし卓敬はすすり泣くばかりで聞きいれようようとはしなかった。
 帝はやはり殺すに忍びなかった。
 すると道衍が言った、虎を残していては後顧の憂いを残すだけです。
 帝はついに死刑にすることにした。敬は死に臨んで、従容として嘆じて言った、わが一族に変が及ぼうに自分にはなんの計画もなかった、私には死んでも余罪があると。神色自若としていた。死んで日が経っても顔を見るとまだ生きているようであった。三族を誅し、家を没収したが、家にはただ書籍数巻があるだけであった。
 卓敬と道衍はもとより不和であったが、帝に方孝孺を殺さないようにした道衍が今度は帝に卓敬を殺させようとした。卓敬に実務の才能があってうわべだけの者ではないことを知っていたからであろう。
 建文の初め、燕のことを心配した諸臣は各自意見を立て上奏した。その中でも卓敬の意見は一番切実であった。もし卓敬の言が用いれられていれば燕王は志を遂げられなかった。万暦になって御史・屠叔方が奏して祠を立てた。

卓敬の著した卓氏遺書五十巻には、私はまだ眼を通したことがないが、管仲と魏徴の事をもって諷せられた人であるからその書は必ず読むべきところがあるだろう。 

※訳文中の〜は不明箇所。

【原文】

魏国公徐輝祖、獄に下さるれども屈せず、諸武臣皆帰附すれども、輝祖始終帝を戴くの意無し。帝大に怒れども、元勲国舅たるを以て誅する能わず、爵を削って之を私第に幽するのみ。輝祖は開国の大功臣たる中山王徐達の子にして、雄毅誠実、父達の風骨あり。斉眉山の戦、大に燕兵を破り、前後数戦、毎に良将の名を辱めず。其姉は即ち燕王の妃にして、其弟増寿は京師に在りて常に燕の為に国情を輸せるも、輝祖独り毅然として正しきに拠る。端厳の性格、敬虔の行為、良将とのみ云わんや、有道の君子というべきなり。 

兵部尚書鉄鉉、執えられて京に至る。廷中に背立して、帝に対わず、正言して屈せず、遂に寸磔せらる。死に至りて猶罵るを以て、大鑊に油熬せらるゝに至る。参軍断事高巍、かつて曰く、忠に死し孝に死するは、臣の願なりと。京城破れて、駅舎に縊死す。礼部尚書陳廸、刑部尚書暴昭、礼部侍郎黄観、蘇州知府姚善、翰林修譚、王叔英、翰林王艮、淅江按察使王良、兵部郎中譚冀、御史曾鳳韶、谷府長史劉璟、其他数十百人、或は屈せずして殺され、或は自死して義を全くす。斉泰、黄子澄、皆執えられ、屈せずして死す。

右副都御史練子寧、縛されて闕に至る。語不遜なり。帝大に怒って、命じて其舌を断らしめ、曰く、吾周公の成王を輔くるに傚わんと欲するのみと。子寧手をもて舌血を探り、地上に、成王安在の四字を大書す。帝益怒りて之を磔殺し、宗族棄市せらるゝ者、一百五十一人なり。

左僉都御史景清、詭りて帰附し、恒に利剣を衣中に伏せて、帝に報いんとす。八月望日、清緋衣して入る。是より先に霊台奏す、文曲星帝座を犯す急にして色赤しと。是に於て清の独り緋を衣るを見て之を疑う。朝畢る。清奮躍して駕を犯さんとす。帝左右に命じて之を収めしむ。剣を得たり。清志の遂ぐべからざるを知り、植立して大に罵る。衆其歯を抉す。且抉せられて且罵り、血を含んで直に御袍に噀く。乃ち命じて其皮を剥ぎ、長安門に繋ぎ、骨肉を砕磔す。清帝の夢に入って剣を執って追いて御座を繞る。帝覚めて、清の族を赤し郷を籍す。村里も墟となるに至る。 

戸部侍郎卓敬執えらる。帝曰く、爾前日諸王を裁抑す、今復我に臣たらざらんかと。敬曰く、先帝若し敬が言に依りたまわば、殿下豈此に至るを得たまわんやと。帝怒りて之を殺さんと欲す。而も其才を憐みて獄に繋ぎ、諷するに管仲・魏徴の事を以てす。帝の意、敬を用いんとする也。敬たゞ涕泣して可かず。帝猶殺すに忍びず。道衍白す、虎を養うは患を遺すのみと。帝の意遂に決す。敬刑せらるゝに臨みて、従容として嘆じて曰く、変宗親に起り、略経画無し、敬死して余罪ありと。神色自若たり。死して経宿して、面猶生けるが如し。三族を誅し、其家を没するに、家たゞ図書数巻のみ。卓敬と道衍と、故より隙ありしと雖も、帝をして方孝孺を殺さゞらしめんとしたりし道衍にして、帝をして敬を殺さしめんとす。敬の実用の才ありて浮文の人にあらざるを看るべし。建文の初に当りて、燕を憂うるの諸臣、各意見を立て奏疏を上る。中に就て敬の言最も実に切なり。敬の言にして用いらるれば、燕王蓋し志を得ざるのみ。万暦に至りて、御史屠叔方奏して敬の墓を表し祠を立つ。敬の著すところ、卓氏遺書五十巻、予未だ目を寓せずと雖も、管仲魏徴の事を以て諷せられしの人、其の書必ず観る可きあらん。

 

【メモ】

「靖難の変後,建文帝側近の重臣とその家族にとられた一族誅滅の処置は,〈永楽の瓜蔓抄(つるまくり)〉とよばれ,後世から残虐ぶりを非難されている。」(平凡社・世界大百科事典より)

 

【書評】奇面館の殺人(綾辻行人)

つまらなくはなかったが、途中で冗長さを感じ駆け足に。

この作者のミステリは以前「十角館の殺人」を読んだがそっちの方が衝撃的で面白かった。

ミステリ好きならこう考えるということを否定して謎を深めていくのはこの人のスタイルなのか。

(一ヶ月ほど前に読んだのであまり細かい内容覚えてなくてスミマセン。)

Newton2021年9月号特集「科学の名著」

科学の名著100冊が紹介されてる。「星を継ぐもの」「夜来たる」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」といったSF、「火の鳥」「宇宙兄弟」「はたらく細胞」等の漫画も。

とりあえず興味を引かれたのをランダムに並べる。

カラスの教科書。πの歴史。零の発見。虚数の情緒。ロウソクの科学。バッタを倒しにアフリカへ。夜来たる。世界一美しい人体の教科書。世界で一番美しい元素図鑑。

・・・他にもあるがこの辺で。

【書評】危険な世界史(中野京子・角川書店)

・危険な世界史(中野京子角川書店)のレビュー。

18-19世紀の西欧史の面白くちょっと怖い?エピソード集。同じ著者の「怖い絵」のようなドロドロした歴史ミステリ風味を勝手に期待していたのでちと拍子抜け。しかし史眼の確かさや語り口の巧さは健在。パラパラめくって好きなところを気軽に読める。「怖い絵」のような毒もそれなりに感じるが、何しろ一話が2ページほどなのでテンポ良く読める反面、物足りない一面も。さあこれから話が展開していくぞ、という直前であっけなく終わっちゃう感じだ。(元々、新聞の連載をまとめたものらしい。)まあそれでも、十分楽しい。やはり歴史を学ぶ面白さは人間の発見にあるのだなあとしみじみ。