幸田露伴【運命】39
【訳】
燕王はついにまた軍を率いて出兵した。
将兵に諭していうには、戦場では死を怖れる者は必ず死に、生を捨てる者は必ず生き残る、おまえたちも力を尽くせ。
三月、盛庸の軍と來河で交戦した。
燕の将譚淵、董中峰らは南軍の将荘得と戦い死に、南軍はまた荘得、楚知、張皀旗らを失った。
日が暮れて両軍は兵を引いて軍営に戻った。
燕王は十あまりの騎兵を連れて庸の陣に近づいてそこで野営した。
夜が明けるとまわりは敵だらけである。
だが王は従容と去った。
盛庸の将軍たちは驚いたが建文帝の詔に自分に叔父殺しの汚名を着せないでくれとあるので矢を放ったりはしなかった。
この日はもう一度戦った。
午前八時から午後二時まで両軍互いに勝ったり負けたりした。
すると東北風が吹き荒れて砂礫が顔を打った。
南軍には向かい風になり北軍は追い風に乗じた。
燕軍の吶喊・鉦鼓の声は地を揺るがし盛庸の軍は太刀打ちできず敗走した。
燕王が戦を終え自陣に帰ってくると、顔中土埃だらけで諸将も誰かわからず、声を聞いてようやく王であると気付いたという。
黄塵の舞う中、王がいかに馬で駆け回り叱咤号令したか察せられるであろう。
【原文】
燕王遂に復師を帥いて出づ。
諸将士を諭して曰く、戦の道、死を懼るゝ者は必ず死し、生を捐つる者は必ず生く、爾等努力せよと。
三月、盛庸と來河に遇う。
燕将譚淵、董中峰等、南将荘得と戦って死し、南軍亦荘得、楚知、張皀旗等を失う。
日暮れ、各兵を斂めて営に入る。
燕王十余騎を以て庸の営に逼って野宿す。
天明く、四面皆敵なり。
王従容として去る。
庸の諸将相顧みて愕き眙るも、天子の詔、朕をして叔父を殺すの名を負わしむる勿れの語あるを以て、矢を発つを敢てせず。
此日復戦う。
辰より未に至って、両軍互に勝ち互に負く。
忽にして東北風大に起り、砂礫面を撃つ。
南軍は風に逆い、北軍は風に乗ず。
燕軍吶喊鉦鼓の声地を振い、庸の軍当る能わずして大に敗れ走る。
燕王戦罷んで営に還るに、塵土満面、諸将も識る能わず、語声を聞いて王なるを覚りしという。
王の黄埃天に漲るの中に在って馳駆奔突して叱咜号令せしの状、察す可きなり。
【感想】
南軍は建文帝の詔がネックになって燕王を殺せない。それがボディブローのようにじわじわ戦局に響いてきてる。
そして燕王も詔のことは知っている。