日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴【運命】42

【訳】

四月、燕兵は大名に駐留した。

燕王は斉泰と黄子澄が退けられたのを聞き、書を奉って呉傑、盛庸、平安を召還せられるようにと乞い、そうしなければ撤収はできないと言った。

建文帝は大理少卿・薛嵓を使いにやって、燕王とその将兵たちの罪を許し本国に帰らせると詔をして燕軍を解散させ、大軍を北にやってそれを見届けようとした。

しかし燕王のもとに到った薛嵓はかえって燕王の機略と威厳に服するところとなって、戻ってから燕王の言葉は正直でその心は誠実であると奏し、陛下が奸臣を処刑し、すべての軍を解散していただけたら私は単騎でそちらに参りましょうという燕王の言葉を奏した。

帝は方孝孺に語って言った、本当に薛嵓の言うとおりなら斉泰と黄子澄は私を誤らしたぞ。

方孝孺は〜言った、薛嵓は、燕のため説いているのです。

五月、呉傑と平安は出兵して北平の糧道を断った。

燕王は指揮・武勝を遣わして朝廷は休戦を持ちかけておいて糧道を断ち北を攻めたのは詔とくい違っているではないかと奏した。

帝はその書を見て休戦しようという気になった。

方孝孺に語って、燕王は私の父である孝康皇帝と同腹の弟であり私の叔父だ、ここで休戦しなければ先祖に合わせる顔がない。

方孝孺はいった、兵はいったんその任をとけば急には集まりません。向こうが強行軍でここまで進軍したらどうやってこれを防ぐのですか、陛下迷ってはなりません。

かくして武勝を投獄した。

燕王はこれを聞いて大いに怒った。

方孝孺のいうことは全くその通りで、建文帝の情もまた篤いものがある。

畢竟、南北がこうまで戦ってはもはや調停なぞ不可能で、今になって戦禍を防ごうとしてもそれは~ようなものだ。

この月、燕王は指揮・李遠に軽騎兵六千を率いて徐沛に進軍させ、南軍の物資兵糧を焼き討ちさせた。

李遠は丘福、薛禄としめし合わせてうまく功をなし、糧船数万艘、糧数百万を焼いた。

物資も器械も灰となり、河の水という水は燃える炎で熱くなった。

南京の政府はこれを聞いて驚き震え上がった。

 

※訳文中の〜は不明箇所。

 

 

【原文】

四月、燕兵大名に次す。

王、斉泰と黄子澄との斥けらるゝを聞き、書を上りて、呉傑、

盛庸、平安の衆を召還せられんことを乞い、然らずんば兵を釈く能わざるを言う。

帝大理少卿薛嵓を遣りて、燕王及び諸将士の罪を赦して、本国に帰らしむることを詔し、燕軍を散ぜしめて、而して大軍を以て其後に躡かしめんとす。

嵓到りて却って燕王の機略威武の服するところとなり、帰って燕王の語直にして意誠なるを奏し、皇上権奸を誅し、天下の兵を散じたまわば、臣単騎闕下に至らんと、云える燕王の語を奏す。

帝方孝孺に語りたまわく、誠に嵓の言の如くならば、斉黄我を誤るなりと。

孝孺悪みて曰く、嵓の言、燕の為に游説するなりと。

五月、呉傑、平安、兵を発して北平の糧道を断つ。

燕王、指揮武勝を遣りて、朝廷兵を罷むるを許したまいて、而して糧を絶ち北を攻めしめたもうは、前詔と背馳すと奏す。

帝書を得て兵を罷むるの意あり。

方孝孺に語りたまわく、燕王は孝康皇帝同産の弟なり、朕の叔父なり、吾他日宗廟神霊に見えざらんやと。

孝孺曰く、兵一たび散すれば、急に聚む可からず。

彼長駆して闕を犯さば、何を以て之を禦がん、陛下惑いたもうなかれと。

勝を錦衣獄に下す。

燕王聞て大に怒る。

孝孺の言、真に然り、而して建文帝の情、亦敦しというべし。

畢竟南北相戦う、調停の事、復為す能わざるの勢に在り、今に於て兵戈の惨を除かんとするも、五色の石、聖手にあらざるよりは、之を錬ること難きなり。 

此月燕王指揮李遠をして軽騎六千を率いて徐沛に詣り、南軍の資糧を焚かしむ。

李遠、丘福、薛禄と策応して、能く功を収め、糧船数万艘、糧数百万を焚く。

軍資器械、倶に煨燼となり、河水尽く熱きに至る。

京師これを聞きて大に震駭す。