日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語訳、読書日記その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

【童話】ぽんぽこ

 定吉じいさんの家の玄関前にはたぬきの置き物がおいてありました
 おじいさんの腹の高さほどもある大きなたぬきで笠をかぶって右手にとっくり、左手に帳面をもっています
 そうして少し首をかしげてまん丸い眼をいつも驚いたようにあけて立っていました
 この大たぬきは定吉じいさんのおとうさんのそのまたお父さんのもので、もう何十年もずっとここに置いてあるのです
 左の耳の先が少し欠けているのは おじいさんの孫が遊びに来た時あやまって倒してしまいその時できたものです
 おじいさんはこのたぬきをとても大事にしていて毎朝きれいなタオルでふいていました
 ある夜のことです
 山からまんまるい月が登ってきて山の上にかかりました
 月の光で田んぼや川の水は銀色に輝き、木の葉の影の一枚一枚までくっきりしています。
 おじいさんの家の前の暗かった道も懐中電灯がいらないくらい明るくなりました
 
 お月様 お願いがありやす。
 そのとき玄関先のたぬきの置き物が頭を傾けたままいいました。
 またあなたですか 山の上のお月様はあきれたようにいいました。
 なんどいってもだめなものはだめですよ。
 だめといってもひきさがれねえ。
 おねがいきいてくれるまでなんどでもいいやすーどうかあっしを歩けるようにしておくんなさい。一生のおねがいでさ。生まれてこの方こうずっと立ちっぱなしじゃつまんなくっていけない。ちょっとばかりそこらを歩いてみたいんでさあ。
 お月さまは困ってしまいました
 いつもならこんなお願いを聞くことはありません。こうしたお願いというのは一度かなえてあげるとキリがなくなることを知っていたからです。
 けれどたぬきの置物がそこにもうずっとあって立ちっぱなしというのは本当でしたし、何度もお願いしますお願いしますといいますのでお月様はとうとう根負けしました。
 やれやれ あなたには負けました。
 一度だけ歩けるようにしてあげましょう。
 でも忘れないで、歩けるのは私の光があたってるときだけですよ
 光があたらなくなったらもとにもどって歩けなくなってしまいます、いいですか陰にならないように気をつけて歩いて下さい
 はい はい たぬきの置き物はもううれしくてたまりません。
 おっしゃるとおり気をつけやす。
 決してご恩は忘れません。
 すると急に月のひかりが強くなりました。
 するとたちまちたぬきの置き物のまんまるい目がぬれたようになってぱち、ぱち瞬きました
 傾いていたあたまもまっすぐになって、からだにくっついていた手足もとけました
 ツルツルだった体も今ではしっぽの先までふさふさです。
 こうしてたぬきは二本足で月明かりの中を歩き出しました。
 家の前の畑のほとりをすぎました。
 電柱の灯の下も通りました
 なにしろ歩くのは初めてなのでうっかりしてるところびそうです
 けれどたぬきはもうわくわくして、丸い目をいっそう丸くしてまわりをキョロキョロしながら
 いやこいつはすごい、歩くというのはすごい
 足をこうして たがいちがいにだしてくだけでいろんなものがやってくるぞ。
 ああ田んぼだ電信柱だ、おや何か飛び出してきたぞ なんだ蛙だ よく見るとそこらじゅうピヨンピヨンしてるな やいどけどけ蛙どもああ風だ、草のにおいに花粉の匂い。
 いろんなものが混じってる、いやもうどこまでも歩いていけそうだ。 
 たぬきは田んぼのあぜ道を抜けて小さな橋を渡りました。

 橋の近くの原っぱでは子たぬきたちが組み合ったり、バッタを追いかけたりして遊んでいました。

あまりあたりが明るいので山から遊びにきていたのです
 けれど月明かりの中みたこともないような大たぬきが、人間のように立って、あたりをキョロキョロしながら、こっちへふらふら歩いてきたものですからびっくりして草むらに隠れました
 やれやれくたびれた やっぱりまだ歩くのにゃ慣れねえな ああちょうどいい岩があるな あそこでちょっくら休むとしよう 
 大たぬきは原っぱの中の大きな岩の上に上がるとどっかと腰を下ろし 持っていた徳利からお酒をごくごく飲み始めました
 子だぬきたちはその様子を草むらの中からこわごわ見ていましたがやがて一匹また一匹と出てきました
 そうして岩の上の大たぬきの方をビクビクしながら見上げました
 うん? なんだ お前たちは 
 と大たぬきは酒臭い息で訪ねました

子たぬきの一匹が説明すると

 ふうん そこの山から遊びにきたのか
 ちげえねえ こんないい月だもんな 山ん中でじっとしてられねえやな
 おじさんは誰?どこからきたの?
 一匹が自分の背丈ほどもある大きな丸いお腹を珍しそうに見ながら訪ねます
 俺か 俺は定吉じいさんのとこのたぬきさ 
 子狸たちはまたびっくりしました
 定吉じいさんといえば人間じゃないか ときどき鉄砲でどんどん撃ったりする ひどいめに合わなかったの?
 ひどいめ?とんでもねえ。毎朝きれいにふいてくれたりしてな、おかげでこんな男っぷりよとまたお酒をゴクリ
 それなに? 
 もう一匹がききました。
 ん、これか これはとっくりといいってな さけがはいってるんだ
 ああ うめえ 五臓六腑にしみわたる〜ッ
 ごぞうってなに?
 同じ子がまたたずねます。
 うん それはな ここの中にあるもんのことさ
 大たぬきは丸い腹をポンポン、叩きました
 どうだ おめえたちも一口いかねえか
 大たぬきがすすめるので一匹がおそるおそる
 とっくりに鼻を近づけました
 途端に
 うわくさい、くさい
 その子はひっくりかえると、つんと突き出た鼻を前足でごしごし、こすりました。
 はははははは、そうか臭いか
 大たぬきは大笑いしました
 
 山の上にかかっていたおつきさまはだんだん空高くのぼりました

田んぼから聞こえてくる蛙の声もだんだん大きくなりました
 子たぬきたちはこういう丸く明るいお月様が大好きなのでいてもたってもいられなくなってぽんぽこ、腹づつみを打ち出しました
 すると大たぬきは岩から下りて、腹づつみにあわせて踊りだしました
 ♬ぽんぽん、ぽこぽん
 腹も丸なら月も丸

みんな丸ならよかんべえ
さのよい、よいっと
 狸はかぶっていた笠をとって上下にふったりくるくる回したりして楽しそうに踊っています

あんまり楽しそうなので見ていた子たぬきたちも踊ろうとしましたが大たぬきのように立てないので踊れません

それでやっぱり追いかけっこをしたりバッタを捕まえたりし始めました

 嗚呼面白かった
 大たぬきは踊り疲れるとべったりお尻をつきました
 そうしてぽろぽろ泣き出しました
 おじさん どうしたの なぜ泣いてるの
 ポンポン腹を鳴らしていた一匹の子たぬきがたずねました
 ああ、おじさんはな

ずっとこんなふうに踊ったりしたかったんでえ、ようやくそれがかなってなあ、ちきしょうめ、やっぱり仲間がいると楽しくっていけねえや
 おじさん さびしかったんだねえ
 それから大たぬきは岩の上にのぼって子たぬきたちが遊んだり腹づつみを打ったりするのを見ておりました 
 夜は更けてお月様にだんだん雲がかかってきました

 いや絶景絶景
 大たぬきは岩の上から思いました
 あんな風にお月さんに雲がかかってまるでー
 と、そのとき急にはっとしました
「光があたらなくなったらもとにもどって歩けなくなってしまいます」
 急にお月様が言っていたことを思い出したのです
 こりゃいけねえ、早く家に戻らねえと
 けれどその時にはもう手遅れでした
 月は雲に隠れてしまい、たちまちあたりは暗くなりました
 ごとん。
 岩の上にすわっていたたぬきは大きな音を立てて草の上に転げ落ちました
 おじさん どうしたの おじさん 子たぬきたちはびっくりしてかけよりました
 たいへんだ つめたくなってる おまけに石みたいにかちかちだ どうしよう
 子たぬきたちは大騒ぎ、大たぬきのあちこちをさすったりこすったり、そこらじゅうの落ち葉をあつめてかけたりしました。
 けれど大たぬきはかたくつめたくなったまま、ピクリとも動きません。
 どうしたらいいだろう
 相談しているうちにあたりは明るくなって朝になりました。
 あれだけ大きかった蛙の合唱もすっかり聞こえなくなり、代わって鳥たちがあちこちで鳴き始め、近くの道を車が何台もごとごと、音を立てて通りすぎます。
 子たぬきたちは仕方なく大たぬきをそのままにして山に帰っていきました。

その朝おじいさんが玄関の戸をあけると、どうしたことかたぬきの置物がなくなっています。
 おかしいな、どこにいったのだろう
 誰かが盗んだのだろうか
 おばあさんにいうと、おばあさんは首をかしげて
 あんなものを盗む泥棒がいるとは思えないけど・・・ずっと立ちっぱなしで嫌になってちょっと散歩したくなったんじゃないかしら
 馬鹿を言え、置物が散歩なんぞするものか、ともかく探そうとおじいさん
 お前は家のまわりを探してくれ わしは向こうの道の方へ出てみるから
 そうしておじいさんは急いで道の方に出てみました
 一体どこにいったのだろう、先祖代々ずっと大事にしていたのに
 心配しながら橋を渡ると
 おや、あれはなんだろう。
 おじいさんは立ち止まりました
 向こうの原っぱの真ん中に何か変なものがあります
 行ってみると落ち葉が小山のようにたくさん集まってそこからたぬきの顔がのぞいています
 これはもしかして
 おじいさんは葉をどけました
 ふうむ、色ぐあいといい大きさといいどうもうちのたぬきに似てるな。耳の先っぽだって欠けてるし
 でも変だな、あぐらをかいてるし、それに顔だって違うぞ
 第一、誰がこんなところに持ってきて葉っぱをかけたりなんぞしたのだろう
 いくら考えてもわかりません
 まあいい、とりあえずうちへもって帰ろう
 お爺さんはいったん家へもどりました

それから車に乗ってたぬきのところまで行くと、荷台に乗せて家まで運びました

そうしてたぬきをきれいにタオルで拭いてやると、今度はなくならないように玄関を入ったすぐ正面の廊下に置きました
 それからというもの、定吉じいさんの家を訪れた人は、玄関を入ると紅い顔をしたとろけるような笑顔のたぬきの置物のおでむかえを受けるようになったのです。
 おわり