日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴【運命】メモ

・兵力、物量のいずれにおいても燕王軍を凌いでいた明軍が燕軍に敗れ、永楽帝のクーデターが成功した理由として、皇帝側には洪武帝時代のたび重なる粛清で有能な将軍が少なかったためと言われる。燕王側は北方のモンゴルに対する防備に従事していた精鋭軍で、軍師の姚広孝(道衍)、丘福・朱能・張玉や、永楽帝の次男の朱高煦といった有能な武将や参謀と評価される人材が揃っていた。これに対し、建文帝には側近の斉泰や黄子澄のほか、李景隆(李文忠の子)や方孝孺といった文官しかいなかった。また、建文帝の温和な性格や永楽帝の軍事的資質も指摘される。(wikiより)

 

建文帝は叔父の永楽帝のような軍才はないから優秀な軍師なり将軍が必要だったんだけどそれがいなかったね。

叔父を殺すなという命令も自軍の足を思い切り引っ張ったし。

最後まで数の利を活かせなかった。

更に付け加えると宮廷の宦官たちが燕に機密情報を流していたことも大きかったと思う。

結局燕王軍の最大のピンチって連敗して南方の蒸し暑さに参って人心が燕王から離れかけたときじゃないか?

あの時は軍がバラバラになる寸前までいったからね。

 

洪武帝の粛清についてはここが詳しい。

胡藍の獄(こらんのごく)

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2639800