日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴【運命】49

【訳】

五月、燕兵は泗州に至った。守将の周景初は降伏した。燕軍は進んで淮河に着いた。盛庸はこれを防ぐことができず、戦艦はみな燕の得るところとなり、盱眙も陥落した。燕王は諸将の建言を排してすぐに楊州に赴く。揚州の守将の王礼と弟の宗は監察御史の王彬を捕縛して門を開き降伏した。高郵、通泰、儀真の諸城も皆降伏し、北軍の艦船は淮河に往来して、その勢いは天をも揺るがすほどであった。

朝廷の大臣たちは保身を考え、これに刃向かい戦おうとする者はいなかった。方孝孺は土地を燕に割譲して、敵の進軍速度を遅らせ、その間に東南の義軍が来るのを待とうとした。そのため慶城郡主を使わし和議を結ぼうとした。慶城郡主は燕王の従姉である。燕王は従姉の話を聴こうとせずにいった、皇考が分かちなされた私の土地も保てないのですよ、どうしてさらに割譲などを望むものか、私はただ奸臣をつかまえてから、陵墓に〜たいのです。

六月、燕の軍勢は浦子口に着いた。盛庸らはこれを破った。この時建文帝は都督僉事の陳瑄を遣わし水軍を率いて盛庸に協力させたのだが、その後陳瑄は逆に燕に投降してしまい、船を準備して迎えた。燕王は河の神を祀り~て長江を渡った。多くの船が次々に長江を進み、鉦や太鼓が盛んに鳴らされる。盛庸らは兵船を連ねていたが全員これを見て驚愕した。燕王が諸将を指揮し、太鼓が鳴り鬨の声をあがって先陣を切ると盛庸の軍は潰滅し、その船は全部燕軍のものとなった。鎮江の守将・童俊はなすすべなく燕に降伏した。

建文帝は長江の船も敵に使われ、鎮江などの諸城がみな降伏したのを聞いて、憂鬱になりなにか策がないか方孝孺にたずねた。方孝孺は民をせき立てて城に入れ、諸王に門を守らせた。李景隆たちは燕王に見えて土地の割譲で説得しようとしたが王は応じない。

そうこうするうちに燕の軍勢はいよいよ迫ってくる。

群臣の中には帝に淅川に行幸されるよう勧める者もいたし、あるいは湖湘に行かれた方が良いですという者もいた。そんな中、方孝孺は堅く南京を守って勤皇の義軍が救援に来るのを待ち、緊急の場合は車に乗り蜀に行幸して、再起を図られるよう建文帝に求めた。その時斉泰は広徳に、黄子澄は蘇州に行って徴兵を促していた。だが二人とも実務の才がなく、兵を集めることはできなかった。黄子澄は海を渡り外国で徴兵しようとしたが果たせなかった。

そのうち燕将の劉保、華聚らがついに朝陽門に至り、なんの備えもしてないのを見て戻ってこれを知らせた。燕王は大いに喜んで兵を整えて進軍し、金川門に来た。金川門は谷王・朱橞と李景隆が守っていたが、燕軍が来ると門を開いて投降した。魏国公・徐輝祖は最後まで屈服せず、軍を率いて迎撃した。だが勝つことはできなかった。朝廷の文官武官全員が降伏し燕王を迎えた。

 

※訳文中の〜は不明箇所。


【原文】

五月、燕兵泗州に至る。守将周景初降る。燕の師進んで淮に至る。盛庸防ぐ能わず、戦艦皆燕の獲るところとなり、盱眙陥れらる。燕王諸将の策を排して、直に揚州に趨く。揚州の守将王礼と弟宗と、監察御史王彬を縛して門を開いて降る。高郵、通泰、儀真の諸城、亦皆降り、北軍の艦船江上に往来し、旗鼓天を蔽うに至る。朝廷大臣、自ら全うするの計を為して、復立って争わんとする者無し。方孝孺、地を割きて燕に与え、敵の師を緩うして、東南の募兵の至るを俟たんとす。乃ち慶城郡主を遣りて和を議せしむ。郡主は燕王の従姉なり。燕王聴かずして曰く、皇考の分ちたまえる吾地も且保つ能わざらんとせり、何ぞ更に地を割くを望まん、たゞ奸臣を得るの後、孝陵に謁せんと。

六月、燕師浦子口に至る。盛庸等之を破る。帝都督僉事陳瑄を遣りて舟師を率いて庸を援けしむるに、瑄却って燕に降り、舟を具えて迎う。燕王乃ち江神を祭り、師を誓わしめて江を渡る。舳艫相銜みて、金鼓大に震う。盛庸等海舟に兵を列せるも、皆大に驚き愕く。燕王諸将を麾き、鼓譟して先登す。庸の師潰え、海舟皆其の得るところとなる。鎮江の守将童俊、為す能わざるを覚りて燕に降る。帝、江上の海舟も敵の用を為し、鎮江等諸城皆降るを聞きて、憂鬱して計を方孝孺に問う。孝孺民を駆りて城に入れ、諸王をして門を守らしむ。李景隆等燕王に見えて割地の事を説くも、王応ぜず。勢いよ〳〵逼る。群臣或は帝に勧むるに淅に幸するを以てするあり、或は湖湘に幸するに若かずとするあり。方孝孺堅く京を守りて勤王の師の来り援くるを待ち、事若し急ならば、車駕蜀に幸して、後挙を為さんことを請う。時に斉泰は広徳に奔り、黄子澄は蘇州に奔り、徴兵を促す。蓋し二人皆実務の才にあらず、兵を得る無し。子澄は海に航して兵を外洋に徴さんとして果さず。

燕将劉保、華聚等、終に朝陽門に至り、備無きを覘いて還りて報ず。燕王大に喜び、兵を整えて進む。金川門に至る。谷王橞と李景隆と、金川門を守る。燕兵至るに及んで、遂に門を開いて降る。魏国公徐輝祖屈せず、師を率いて迎え戦う。克つ能わず。朝廷文武皆倶に降って燕王を迎う。

 

【感想メモ】

・「大事去る」

霊壁の戦いで南軍に潰滅的なダメージを与えた北軍は破竹の勢いで次々に城を落としていき、なにやら消化試合という印象。
盛庸もいったんは勝つものの陳瑄が配下の水軍ともども寝返ってしまった。おかげで北軍は長江を渡れた。南軍は勝ってもすぐまた負けるのはこの内戦におけるパターンである。

・従姉による和議の申し入れを兵を集めるための時間稼ぎと見抜いた燕王はこれを一蹴しひたすら南京を目指す。敵に立て直しのための時間を与えない作戦だ。

・それにしてもドミノ倒しのように次々に降伏して情けない。建文帝はこの頃には味方から見放されていたようだ。

・李景隆は最後までいいとこなし。

・味方が次々に投降する中で、屈せず最後まで戦った徐輝祖の姿は胸に迫る。あのとき自分が南京に戻っていなかったら、という思いがあったかもしれない。「克つ能わず」は無念さが伝わってくる。
かくして4年に渡る靖難の役はここに終止符を打った。