日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」27

【訳】

八月、耿炳文らは兵三十万を率いて真定に至り徐凱は兵十万を率いて河間に駐留した。炳文は老将で太祖の創業時の功臣だった。かつて張士誠と戦って長興を守ること十年、大小数十戦を戦って勝たなかったことはなくついに士誠をして~を~太祖が功臣を~するのに炳文をもって大将軍徐達~一番とした。この後北の国境を出て元の遺族を破り、南は雲南を制圧して~を平定しあるいは陝西にあるいは蜀に旗幟の向かうところ常に戦功をあげた。ことに洪武の末には元勲や宿将の多くが亡くなったので炳文は朝廷が重用するところとなった。

今回大軍を率いて北伐した時には六五歳だった。樹が老いて材がいよいよ硬くなるように将軍も老いて軍団はますます強固になった。しかし不幸なことに先鋒の楊松が燕王の軍に不意を襲われて雄県に死に、潘忠が救援に向かおうとして月漾橋の伏兵に捕らえられ、武将の張保は敵に降参してその手駒となり、ついに滹沱河の北岸において燕王及び張玉、朱能、譚淵、馬雲等のために大敗して李堅、寗忠、顧成、劉燧を失ってしまった。ただ炳文~ので大敗しても全滅することはなく真定城に入って門を閉じて堅く守った。

燕兵が勝利に乗じて城を囲むこと三日に及んだが、負かすことはできなかった。燕王も炳文が老将で破ることは簡単ではないことを知って、包囲を解いて戻っていった。

 

※訳文中の〜は不明箇所。

 

【原文】

八月耿炳文等兵三十万を率いて真定に至り、徐凱は兵十万を率いて河間に駐まる。炳文は老将にして、太祖創業の功臣なり。かつて張士誠に当りて、長興を守ること十年、大小数十戦、戦って勝たざる無く、終に士誠をして志を逞しくする能わざらしめしを以て、太祖の功臣を榜列するや、炳文を以て大将軍徐達に付して一等となす。後又、北は塞を出でゝ元の遺族を破り、南は雲南を征して蛮を平らげ、或は陝西に、或は蜀に、旗幟の向う所、毎に功を成す。特に洪武の末に至っては、元勲宿将多く凋落せるを以て、炳文は朝廷の重んずるところたり。きごう

今大兵を率いて北伐す、時に年六十五。樹老いて材愈堅く、将老いて軍益々固し。然れども不幸にして先鋒楊松、燕王の為に不意を襲われて雄県に死し、潘忠到り援わんとして月漾橋の伏兵に執えられ、部将張保敵に降りて其の利用するところとなり、遂に滹沱河の北岸に於て、燕王及び張玉、朱能、譚淵、馬雲等の為に大に敗れて、李堅、寗忠、顧成、劉燧を失うに至れり。ただ炳文の陣に熟せる、大敗して而も潰えず、真定城に入りて門を闔じて堅く守る。燕兵勝に乗じて城を囲む三日、下す能わず。燕王も炳文が老将にして破り易からざるを知り、囲を解いて還る。