日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴【運命】34 「白溝河の戦い」

【訳】

年は改まり建文二年となった。燕では洪武三十三年である。燕王は正月の酷寒に乗じて、蔚州を下して大同を攻めた。李景隆は出軍しこれを救おうとしたが燕王はそれより早く居庸関に入って北平に帰ったので、景隆の軍は寒さに苦しみ、移動するに疲れて戦わずして自滅した。

二月、韃靼の兵が来て燕を助けた。というのは春になって暖かくなれば景隆と戦うことになることを考えて燕王が要請したのである。

春がたけなわになって南軍に勢いが出てきた。

四月初め、景隆は兵を徳州に集め、郭英、呉傑は真定に進軍した。

帝は巍国公・徐輝祖に京軍三万を率いて合流させた。

景隆、郭英、呉傑らの軍勢は計六十万となり百万と宣伝して白溝河に駐屯した。

南軍の将の平安は勇猛にしてかつて燕王に従って塞北で戦い王の用兵についてはその虚実を知っていた。

平安は先鋒となって燕軍に突っ込み矛を揮って進軍する。

瞿能父子もまた勇躍し戦った。二人の将軍の向かうところ、燕の兵は退却した。

夜になって燕王は張玉を中軍に、朱能を左軍に、陳亨を右軍に、丘福を騎兵の将として騎馬と歩兵十余万で夜明けに全員河を渡った。

南軍の瞿能父子と平安らは房寛の陣をつきこれを破った。張玉はこれを見て怯えた。燕王は言った、勝敗は~日中のうちに必ずおまえたちのために敵を破ってみせると。そして精鋭数千を指揮して敵の左翼に突入した。王の子の高煦も張玉らの軍を率いて同様に進軍した。

両軍は激突し一進一退の攻防を繰り返した。喊声は天を揺るがし、飛ぶ矢は雨のようであった。

王の乗る馬は三度傷を負い、王は三度馬を換えた。王は弓で奮戦し三つあった矢筒の矢が尽きてしまった。

王は剣を抜いて周りの者に先んじて敵陣に斬り込み、右に左に剣をふるった。そのうち剣先が折れて欠けてしまい、攻撃できなくなった。

そんなとき瞿能と出くわした。王はもう少しで~に~そうになった。

王は急に走って堤に上り偽って鞭~ようやく助かって、また兵を率いて馬を駆って戦いに加わった。

平安は〜向かうところ敵なしであった。燕の将軍である陳亨は平安のために斬られて徐忠も傷を負った。高煦はこの窮地を見て精鋭の騎兵数千を率い前に出て王と合流しようとした。

瞿能はまた猛攻し燕を滅ぼせと大声を上げた。

たまたまつむじ風が巻き起こり南軍の大将の大旗を折った。南軍の将も兵もこれをみて驚き動揺した。

王はこれに乗じて騎兵でその後ろに出て突撃し、高煦の騎兵と合流し、瞿能父子を乱戦のうちに殺した。平安は朱能と戦って敗れた。南軍の将兪通淵、勝聚らは皆死んだ。燕兵は勢いに乗って陣に迫り火を放った。突風は火を煽った。

ここにおいて南軍は総崩れとなり郭英らは西に逃げ、景隆は南に逃げた。兵器と軍用品は全て燕が手に入れて南軍の兵士の死体は~に及んだ。~

この戦いで軍勢が無傷で退却したのは徐輝祖の軍だけであった。瞿能、平安など勇猛な将軍もいなくはなかったが、景隆が凡夫で将軍の器ではなかった。

燕王の父子は生まれつきの豪傑でそれに加え、張玉、朱能、丘福らが勇猛であった。北軍が勝ち南軍が潰えたのはまことにもっともなことであった。

※訳文中の〜は不明箇所。

【原文】

年は新になりて建文二年となりぬ。燕は洪武三十三年と称す。

燕王は正月の酷寒に乗じて、蔚州を下し、大同を攻む。景隆師を出して之を救わんとすれば、燕王は速く居庸関より入りて北平に還り、景隆の軍、寒苦に悩み、奔命に疲れて、戦わずして自ら敗る。

二月、韃靼の兵来りて燕を助く。蓋し春暖に至れば景隆の来り戦わんことを慮りて、燕王の請えるなり。春闌にして、南軍勢を生じぬ。

四月朔、景隆兵を徳州に会す、郭英、呉傑は真定に進みぬ。帝は巍国公徐輝祖をして、京軍三万を帥いて疾馳して軍に会せしむ。

景隆、郭英、呉傑等、軍六十万を合し、百万と号して白溝河に次す。南軍の将平安驍勇にして、嘗て燕王に従いて塞北に戦い、王の兵を用いるの虚実を識る。先鋒となりて燕に当り、矛を揮いて前む。瞿能父子も亦踴躍して戦う。二将の向う所、燕兵披靡す。夜、燕王、張玉を中軍に、朱能を左軍に、陳亨を右軍に、丘福を騎兵に将とし、馬歩十余万、黎明に畢く河を渡る。南軍の瞿能父子、平安等、房寛の陣を擣いて之を破る。張玉等之を見て懼色あり。王曰く、勝負は常事のみ、日中を過ぎずして必ず諸君の為に敵を破らんと。既ち精鋭数千を麾いて敵の左翼に突入す。王の子高煦、張玉等の軍を率いて斉しく進む。

両軍相争い、一進一退す、喊声天に震い 飛矢雨の如し。王の馬、三たび創を被り、三たび之を易う。王善く射る。射るところの箭、三箙皆尽く。乃ち剣を提げて、衆に先だちて敵に入り、左右奮撃す。剣鋒折れ欠けて、撃つに堪えざるに至る。

瞿能と相遇う。幾んど能の為に及ばる。王急に走りて隄に登り、佯って鞭を麾いで、後継者を招くが如くして纔に免れ、而して復衆を率いて馳せて入る。

平安善く鎗刀を用い、向う所敵無し。燕将陳亨、安の為に斬られ、徐忠亦創を被る。高煦急を見、精騎数千を帥い、前んで王と合せんとす。瞿能また猛襲し、大呼して曰く、燕を滅せんと。

たま〳〵旋風突発して、南軍の大将の大旗を折る。南軍の将卒相視て驚き動く。王これに乗じ、勁騎を以て繞って其後に出で、突入馳撃し、高煦の騎兵と合し、瞿能父子を乱軍の裏に殺す。平安は朱能と戦って亦敗る。南将兪通淵、勝聚等皆死す。

燕兵勢に乗じて営に逼り火を縦つ。急風火を扇る。

是に於て南軍大に潰え、郭英等は西に奔り、景隆は南に奔る。器械輜重、皆燕の獲るところとなり、南兵の横尸百余里に及ぶ。所在の南師、聞く者皆解体す。

此戦、軍を全くして退く者、徐輝祖あるのみ。瞿能、平安等、驍将無きにあらずと雖も、景隆凡器にして将材にあらず。燕王父子、天縦の豪雄に加うるに、張玉、朱能、丘福等の勇烈を以てす。北軍の克ち、南軍の潰ゆる、まことに所以ある也。

 

【感想】

北軍が勝ったのは当たり前みたいに書いてあるがそうだろうか。読んだ限りでは少なくとも燕王は結構危なかったと思う。

ただこの辺は難しくて訳せなかったのが残念。

それにしても「旋風」、都合良く吹きすぎな気が・・道衍の妖術か何かですか(それはない)