日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」10

はじめ太祖、太子に命じたまいて、章奏を決せしめられけるに、太子仁慈厚くおわしければ、刑獄に於て宥め軽めらるゝこと多かりき。太子亡せたまいければ、太孫をして事に当らしめたまいけるが、太孫もまた寛厚の性、おのずから徳を植えたもうこと多く、又太祖に請いて、遍く礼経を考え、歴代の刑法を参酌し、刑律は教を弼くる所以なれば、凡そ五倫と相渉る者は、宜しく皆法を屈して以て情を伸ぶべしとの意により、太祖の准許を得て、律の重きもの七十三条を改定しければ、天下大に喜びて徳を頌せざる無し。太祖の言に、吾は乱世を治めたれば、刑重からざるを得ざりき、汝は平世を治むるなれば、刑おのずから当に軽うすべし、とありしも当時の事なり。明の律は太祖の武昌を平らげたる呉の元年に、李善長等の考え設けたるを初とし、洪武六年より七年に亙りて劉惟謙等の議定するに及びて、所謂大明律成り、同じ九年胡惟庸等命を受けて釐正するところあり、又同じ十六年、二十二年の編撰を経て、終に洪武の末に至り、更定大明律三十巻大成し、天下に頒ち示されたるなり。呉の元年より茲に至るまで、日を積むこと久しく、慮を致すこと精しくして、一代の法始めて定まり、朱氏の世を終るまで、獄を決し刑を擬するの準拠となりしかば、後人をして唐に視ぶれば簡覈、而して寛厚は宗に如かざるも、其の惻隠の意に至っては、各条に散見せりと評せしめ、余威は遠く我邦に及び、徳川期の識者をして此を研究せしめ、明治初期の新律綱領をして此に採るところあらしむるに至れり。太祖の英明にして意を民人に致せしことの深遠なるは言うまでも無し、太子の仁、太孫の慈、亦人君の度ありて、明律因りて以て成るというべし。既にして太祖崩じて太孫の位に即きたもうや、刑官に諭したまわく、大明律は皇祖の親しく定めさせたまえるところにして、朕に命じて細閲せしめたまえり。前代に較ぶるに往々重きを加う。蓋し乱国を刑するの典にして、百世通行の道にあらざる也。朕が前に改定せるところは、皇祖已に命じて施行せしめたまえり。然れども罪の矜疑すべき者は、尚此に止まらず。それ律は大法を設け、礼は人情に順う。民を斉うるに刑を以てするは礼を以てするに若かず。それ天下有司に諭し、務めて礼教を崇び、疑獄を赦し、朕が万方と与にするを嘉ぶの意に称わしめよと。嗚呼、既に父に孝にして、又民に慈なり。帝の性の善良なる、誰がこれを然らずとせんや。 是の如きの人にして、帝となりて位を保つを得ず、天に帰して諡を得る能わず、廟無く陵無く、西山の一抔土、封せず樹せずして終るに至る。嗚呼又奇なるかな。しかも其の因縁の糾纏錯雑して、果報の惨苦悲酸なる、而して其の影響の、或は刻毒なる、或は杳渺たる、奇も亦太甚しというべし。

 

はじめ太祖は太子に命じて~していたが太子は慈悲深い方で刑罰を軽くすることが多かった。太子が亡くなられたので太孫がその任に当たったが太孫もまた寛大な方でみずから徳を実践すること多く、また太祖に請願して~を考え、歴代の刑法の長所をとり 刑は~太祖の許しを得て法律の重いもの七三条を改定したので天下の者は大いに喜んでその徳を歌に詠んだ。太祖の言葉に 私は乱世を治めたから刑は重くせざるを得なかった。おまえは平世を治めるのだから刑は自然に軽くすべきだとあるもその頃のことである。明の律は太祖の武昌を平定した呉の元年に李善長らが考えて設けたのが初めで洪武六年より七年にわたり劉惟謙らが議定していわゆる大明律が成り同じ九年胡惟庸らが命令をうけ改正するところがあり、また同じく一六年、二二年の編集を経て、ついに洪武の末になって、新しい大明律三十巻大成し、天下に発布された。呉の元年よりここに至るまで長い時間がかけ考えを巡らすこと多くしてようやく法は定まり~明の世が終わるまで刑罰についての規範となったので、後人をして唐に比べれば簡潔でその穏やかなことは宋には及ばないがその人情に厚いことは各条に散見されると評せしめ、その影響は遠い我が国にも及び、江戸時代の識者をして研究せしめ明治初期の新律綱領も採用するところがあったほどであった。太祖が英明であってその心を民の方へ振り向けたその深遠なことは言うまでも無いが、太子の仁愛、大孫の慈悲、また君主としての度量これらがあって、明律ははじめて成ったのである。
既に太祖は崩御して太孫が帝位につき~に諭していうには大明律は~定めた私に命じて~
以前のそれに比べるとずっと刑が重くなっている。これは確かに乱れた国のための刑法典であって、いつまでも適用するようなものではない。私が以前改定したところは、~が既に命じて施行させた。しかし罪を犯したかは疑わしい者は、なおこの改正法だけに拠ってはならない。そもそも法律は~礼は人情に従うものだ。人民を治めるに刑罰をもってするのは礼をもってするのに及ばない。天下に諭して礼を尊び、~
ああ、父に孝行でありまた人民を慈しむ。帝の善良なることを誰がそうでないと言うものがいようか。
このような人だったので、帝となってもずっと帝位にいることができず、亡くなっても諡も与えられず、廟も陵もなく、~
ああなんと数奇なことか。しかもその因縁が複雑で報いの悲惨なこと、そしてその影響が~なこと数奇なのも甚だしいというべきである。