日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」 14

太祖の病は洪武三十一年五月に起りて、同閏五月西宮に崩ず。其遺詔こそは感ずべく考うべきこと多けれ。山戦野戦又は水戦、幾度と無く畏るべき危険の境を冒して、無産無官又無家、何等の恃むべきをも有たぬ孤独の身を振い、終に天下を一統し、四海に君臨し、心を尽して世を治め、慮い竭して民を済い、而して礼を尚び学を重んじ、百忙の中、手に書を輟めず、孔子の教を篤信し、子は誠に万世の師なりと称して、衷心より之を尊び仰ぎ、施政の大綱、必ず此に依拠し、又蚤歳にして仏理に通じ、内典を知るも、梁の武帝の如く淫溺せず、又老子を愛し、恬静を喜び、自から道徳経註二巻を撰し、解縉をして、上疏の中に、学の純ならざるを譏らしむるに至りたるも、漢の武帝の如く神仙を好尚せず、嘗て宗濂に謂って、人君能く心を清くし欲を寡くし、民をして田里に安んじ、衣食に足り、熈々皡々として自ら知らざらしめば、是れ即ち神仙なりと曰い、詩文を善くして、文集五十巻、詩集五巻を著せるも、詹同と文章を論じては、文はたゞ誠意溢出するを尚ぶと為し、又洪武六年九月には、詔して公文に対偶文辞を用いるを禁じ、無益の彫刻藻絵を事とするを遏めたるが如き、まことに通ずること博くして拘えらるゝこと少く、文武を兼ねて有し、智有を併せて備え、体験心証皆富みて深き一大偉人たる此の明の太祖、開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊徳成功高皇帝の諡号に負かざる朱元璋、字は国瑞の世を辞して、其身は地に入り、其神は空に帰せんとするに臨みて、言うところ如何。一鳥の微なるだに、死せんとするや其声人を動かすと云わずや。太祖の遺詔感ず可く考う可きもの無からんや。遺詔に曰く、朕皇天の命を受けて、大任に世に膺ること、三十有一年なり、憂危心に積み、日に勤めて怠らず、専ら民に益あらんことを志しき。奈何せん寒微より起りて、古人の博智無く、善を好し悪を悪むこと及ばざること多し。今年七十有一、筋力衰微し、朝夕危懼す、慮るに終らざることを恐るのみ。今万物自然の理を得、其れ奚んぞ哀念かこれ有らん。皇太孫允炆、仁明孝友にして、天下心を帰す、宜しく大位に登るべし。中外文武臣僚、心を同じゅうして輔祐し、以て吾が民を福せよ。葬祭の儀は、一に漢の文帝の如くにして異にする勿れ。天下に布告して、朕が意を知らしめよ。孝陵の山川は、其の故に因りて改むる勿れ、天下の臣民は、哭臨する三日にして、皆服を釈き、嫁娶を妨ぐるなかれ。諸王は国中に臨きて、京師に至る母れ。諸の令の中に在らざる者は、此令を推して事に従えと。

 

太祖の病気は洪武三十一年五月に発病して、同じ年の~に崩御した。その遺言は実に含蓄に富んだものであった。山戦野戦また水戦、幾たびとなく恐るべき危険に身をさらして、職なく官位なくまた家もなく、なんらの頼むべきものをもたぬ孤独の身を奮いたたせ、ついに天下を統一し、世界に君臨し、心を尽くして世を治め、思い尽くして人民を救い、礼を尊び学問を重んじて、忙しいときも、読書を欠かさず、儒教を篤く信じて、孔子は誠に永遠の師だと呼んで、心からこれを尊び、政治の基本は必ず儒教をよりどころとし、若き頃より仏教に通じ、内典を知っても、梁の武帝のように耽溺することはなく、また老子を愛して無欲を喜び自ら道徳経註二巻にまとめ、解縉をして上書の中に学問に純粋でないことを非難されたりしたが、漢の武帝のように仙人を好まず、かつて宗濂に言うには君主は心を清くし欲を少なくして、人民を~衣食に満足し喜んで自分というものを知っていればこれこそ仙人と言い、詩が上手で文集五十巻、詩集五巻を著すも詹同と文章を論じては文はただ誠意が溢れているのが大事だとし、また洪武六年九月には、詔をして公文書に対偶を用いることを禁じ、役に立たない彫刻と彩色を仕事とするのをやめさせたことのように、まことに博識でこだわりが少なく、文武両道、知勇も備えて体験も智恵もみな豊かでかつ深い一大偉人であるこの明の太祖、開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊徳成功高皇帝の諡も伊達ではない朱元璋、字は国瑞、がその辞世の際すなわちからだは地に入りこころは空に帰せんとするときに臨んで言ったのはどんなことであったろうか。一羽のちっぽけな鳥でさえ死ぬときの声は人を動かすと言うではないか。まして太祖の遺書とあらば必ず感じ考えさせられるところがあるはずである。遺書はかく記している。私が天命を受けて大任を果たすこと三一年、心配事を心にかけ毎日努力し続けもっぱら人民のために心を砕いてきた。だが卑しい貧民の出なので古の人たちの博識智恵というものがなく善を愛し悪を憎むことがなかなかできないことが多かった。今年七十一、筋力衰え、朝夕心配だが、思った通りにいかないことをおそれてるだけだ。今は万物は納まるべき所に納まっていくという境涯に達し、哀しみの感情なぞはどこにもない。皇太孫允炆、仁に篤く孝行であり、天下の人民も慕っている、速やかに帝位を継ぐべきである。内外の文武の官僚は心を一にしてこれを助け、もって我が人民を幸せにせよ。葬祭はひたすら漢の文帝のごとく質素にして異なることをしてはならない。これを天下に布告して私の思いを知らしめてくれ。私の墓となる孝陵の山川は古いままにして変えてはならない。天下の臣民は喪に服することを三日にしてみな平常の服に着替え結婚を妨げることがあってはならない。諸王は人民に泣かせて、都に来てはならない。様々な詔の対象にならぬ者はこの詔を優先して従え。