日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」17

【訳】

太祖が崩御したのは閏五月で、諸王が都に入るのを許されず不快に思いつつ帰国した後、六月になって戸部侍郎卓敬なる者が内密に帝に上書した。卓敬は字を惟恭といい、書を読めば~と言われたほど聡明で、天文地理より法学暦学兵学刑法に至るまで極めなかったものはなく、後に永楽帝は~三十年のなかで得た人材はただ卓敬のみであったと感嘆せしめたほどの英才である。不正を許さない硬骨漢で逃げるところがなかった。昔制度もまだ備わってなかった頃諸王が服と車を皇太子の真似をしてるのを見て、太祖に直言し、嫡庶の区別がついてない、ここに尊卑の序列がなければどうして天下に命令などできましょうと説いて、太祖をしておまえのいうことはもっともだと言わしめた。その人となりはこれをもってもわかるであろう。

卓敬が密かに上書した内容は諸国を抑え禍根を除こうとするものであった。だが、帝は卓敬の上書を受け取っただけでこれに報いず結局なにもしなかった。

卓敬はしかし理由もなくこんなことを述べたわけではなく必ず密かに耳にしたところがあったからである。二十年余り前、葉居升が言ったことはここにきて的中し、七国の難は今まさに起ころうとしていた。燕王、周王、斉王、湘王、代王、岷王等、密かに通じ合い密使は行き交い不穏な流言もあって朝廷にも聞こえてきた。諸王と帝との間では、帝はまだ帝位につかないときから諸王を嫌い、諸王はまだ帝位につかないときから皇太子を侮り、叔父を尊ぶと~思い上がった行為が多かった。都に入り会葬するのをやめさせたことは遺書に書いてあるといっても、諸王はその責任は讒言した大臣にあるといい、その悪を除こうといい、~自分の誠意をみせましょうというにいたっては口実というしかない。諸王は連合する勢いで帝は孤立状態である。ああ、諸王も疑い帝も疑う、互いに疑ってはばらばらになるに決まっている。帝も戒め、諸王も戒める、互いに戒め合っては壁ができるに決まっている。壁ができ、離れ合う、そうするうちに帝のためにひそかにたくらむ者があり、諸王のためにひそかにたくらむ者があり、さらに藩王をもって天子にしようとする者があり、王をもって皇太子としようとする者さえ出てきた。事態はついに決裂不可避の情勢となってきた。

 


【原文】

太祖の崩ぜるは閏五月なり、諸王の入京を遏められて悦ばずして帰れるの後、六月に至って戸部侍郎卓敬というもの、密疏を上る。卓敬字は惟恭、書を読んで十行倶に下ると云われし頴悟聡敏の士、天文地理より律暦兵刑に至るまで究めざること無く、後に成祖をして、国家士を養うこと三十年、唯一卓敬を得たりと歎ぜしめしほどの英才なり。鯁直慷慨にして、避くるところ無し。嘗て制度未だ備わらずして諸王の服乗も太子に擬せるを見、太祖に直言して、嫡庶相乱り、尊卑序無くんば、何を以て天下に令せんや、と説き、太祖をして、爾の言是なり、と曰わしめたり。其の人となり知る可きなり。敬の密疏は、宗藩を裁抑して、禍根を除かんとなり。されども、帝は敬の疏を受けたまいしのみにて、報じたまわず、事竟に寝みぬ。敬の言、蓋し故無くして発せず、必らず窃に聞くところありしなり。二十余年前の葉居升が言は、是に於て其中れるを示さんとし、七国の難は今将に発せんとす。燕王、周王、斉王、湘王、代王、岷王等、秘信相通じ、密使互に動き、穏やかならぬ流言ありて、朝に聞えたり。諸王と帝との間、帝は其の未だ位に即かざりしより諸王を忌憚し、諸王は其の未だ位に即かざるに当って儲君を侮り、叔父の尊を挟んで不遜の事多かりしなり。入京会葬を止むるの事、遺詔に出づと云うと雖も、諸王、責を讒臣に托して、而して其の奸悪を除かんと云い、香を孝陵に進めて、而して吾が誠実を致さんと云うに至っては、蓋し辞柄無きにあらず。諸王は合同の勢あり、帝は孤立の状あり。嗚呼、諸王も疑い、帝も疑う、相疑うや何ぞ睽離せざらん。帝も戒め、諸王も戒む、相戒むるや何ぞ疎隔せざらん。疎隔し、睽離す、而して帝の為に密に図るものあり、諸王の為に私に謀るものあり、況んや藩王を以て天子たらんとするものあり、王を以て皇となさんとするものあるに於てをや。事遂に決裂せずんば止まざるものある也。

*訳の『〜』は不明な箇所です。