日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴【運命】36

【訳】

盛庸ははじめ耿炳文に従い次に李景隆に従ったが~。済南の防御、徳州の回復に才能を認められて平燕将軍となり、陳暉、平安、馬溥、徐真らの上官となって呉傑、徐凱らとともに燕を討つ任に当たった。庸は呉傑、平安に西の定州を守らせ、徐凱を東の滄州に駐屯させ、自分は徳州にとどまり、連携して燕を牽制しようとした。

燕王は、徳州の城が修築は完全に済んで防備も厳しく突破するのは難しいのに対し、滄州の城が長くこわれ崩れたままになっているのでこれを破るのは簡単だと思って、まずこれを下して盛庸の勢いを削ごうとした。

そこでまず表向きは遼東を制圧すると命令を下して徐凱を油断させ、天津から直沽に到着すると、急に河に沿って南下するように命じた。兵はその意味するところを知らず、東を制圧しようとしてなぜ南下するんだろうと思っていた。王の厳命により強行軍で三百里を進み、途中で偵察の騎兵に会うと皆殺しにし、一昼夜かけ夜明けになって滄州に着いた。

徐凱が燕軍が来たことに気付いたときには北軍は四方から急襲していた。滄州の兵は皆驚いて防ぐことができなかった。張玉が進撃すると城はついに攻め落とされ、徐凱と程暹、兪琪、趙滸らは皆捕虜となった。これは実にこの年の十月のことであった。

 

※訳文中の〜は不明箇所。

 

【原文】

盛庸は初め耿炳文に従い、次で李景隆に従いしが、洪武中より武官たりしを以て、兵馬の事に習う。済南の防禦、徳州の回復に、其の材を認められて、平燕将軍となり、陳暉、平安、馬溥、徐真等の上に立ち、呉傑、徐凱等と与に燕を伐つの任に当りぬ。庸乃ち呉傑、平安をして西の方定州を守らしめ、徐凱をして東の方滄州に屯せしめ、自ら徳州に駐まり、猗角の勢を為して漸く燕を蹙めんとす。

燕王、徳州の城の、修築已に完く、防備も亦厳にして破り難く、滄州の城の潰え圯るゝこと久しくして破り易きを思い、之を下して庸の勢を殺がんと欲す。

乃ち陽に遼東を征するを令して、徐凱をして備えざらしめ、天津より直沽に至り、俄に河に沿いて南下するを令す。軍士猶知らず、其の東を征せんとして而して南するを疑う。王厳命して疾行すること三百里、途に偵騎に遇えば、尽く之を殺し、一昼夜にして暁に比びて滄州に至る。

凱の燕師の到れるを覚りし時には、北卒四面より急攻す。滄州の衆皆驚きて防ぐ能わず。張玉の肉薄して登るに及び、城遂に抜かれ、凱と程暹、兪琪、趙滸等皆獲らる。これ実に此年十月なり。

 

【感想】

「一昼夜に三百里」の北軍の機動力。

にしても盛庸、迂闊すぎないか。

敵が弱いとこついてくるのはわかってるだろうに。