「更級日記」朗読を終えて
先日、更級日記の全文朗読を終えた。
まだ自分の中で整理がついてなく内容も結構忘れてしまったがとりあえずその感想をとりとめなく記す。
随時、加筆修正したい。
・読む前は更級日記って絶対蕎麦と関係あると思ってた。
まあ全くの間違いというわけではなかったが平安グルメ日記とは違ってた(アタリマエ
そもそも「菅原孝標女」が読めない。
すがわらの、ええっと、しかわからない。
タカ「スエ」なんて読めないよ。
しかも女をムスメと読む。
でもタカスエのオンナだったら愛人みたいだからこれでいいのか。
いかん真面目に書こう。
・作者は源氏物語のみならず蜻蛉日記等先人の作品をしっかり読み込んでいる。
こうした作品が出た後、自分に一体何が書けるか、何をどんな風に語ればよいか自身に真剣に問うたに違いなく、それに対する答えがこの更級日記だったと思う。
・ラストは知ってはいたが改めて読んでみると重かった。
しかし書き終えたことで作者は何かしら吹っ切れたのではないか。
というのは書くということは自分から切り離し客観視するということだからだ。
・結局人間はどう生きようと一人で死ぬのだ。
・最後の段でタイトルの意味がわかるというのはいいね。
・晩年?から振り返った回想記だってどこかで読んだがこれはただの回想記などではなく物語つまり虚構だと思う。
自分の半生を素材に入念に構想を立て、夢と現実を縦横の糸にして織り込んだ一枚の織物だ。
・更級日記が千年に渡って読み継がれてきた理由のひとつは同じ人間でも年齢に応じ様々な読み方ができるからでそれは他の名作と呼ばれる作品と全く同じである。
・源氏物語の影響は非常に色濃いらしいが読んでない僕には何とも言えない。
たぶんあの長大な物語を繰り返し繰り返し暗唱できるほど読み込んでいたのだろう。
そうして血肉化したものはどうしようもなく滲み出てしまう。
けれど作者はむしろそれを積極的にわがものとして活用している。
・「○○の原型としての更級日記」とかいうタイトルで何か書けそうだと思うのだが○○の部分がわからない。
・作者は清少納言のような才気煥発タイプとは正反対で、おっとりして控えめな性格で大人になってもそこはあまり変わらなかったようだ。
しかしこうと思い込んだら一途である。
・箱入り娘だったことも関係してるだろうが孤独癖があり孤立したものへの感受性が鋭い。
・読後、月を見る目が変わった。
たまに見るたびこの月は作者やその姉も見ていた月だなと思う。
千年の壁なんぞそこにはない。
月のウサギさえ戻ってきた気がする。
・好きな段。
色々あるけれど、ぱっと思いつくのは足柄山の遊女のエピソード。
簡潔な描写ながら目に浮かび耳にも聞こえるようで美しい。
・僕は和歌には詳しくなく、従って歌人・藤原定家の偉さもよくわからない。
しかし更級日記を後世に伝えてくれたことにはただただ感謝の一語である。