日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」31

【訳】

景隆が炳文に代わると、燕王はその五十万の兵を怖れずに、その~敗兆を指摘して私がこれを虜にするだけだといい、諸将の言を用いずに、北平を世継ぎに守らせ、東に出て、遼東の江陰侯呉高を永平より追い出し、転じて大寧に至って~に入った。景隆は燕王が大寧を攻めたのを聞いて、軍団を率いて北進し、ついに北平を囲んだ。

北平の李譲、梁明らは燕王の跡継ぎを奉って防衛に甚だ努めたが景隆の軍勢が多く、将軍として優れた者もいて、都督である瞿能のような者は張掖門に攻め入って大いに奮戦し、ほとんど城門を破った。しかし景隆の器の小さな事よ、能が軍功をなしたのを喜ばず、大軍が来るのを待ってから進軍せよと命令し、機に乗じて突撃しなかった。

ここにおいて守る者にとって好都合になり、毎晩水を汲んで城壁に注ぐと、寒さのためたちまち氷結して、次の日になると登ることができなくなった。燕王はあらかじめ景隆を自分の守りの堅い城の下で殲滅しようとしていたので景隆が既に矢頃に入ってきたのをどうして矢を放たないことがあろうか。

燕王は太寧より帰って会州に至り、五軍を立てて、張玉を中軍に、朱能を左軍に、李彬を右軍に、徐忠を前軍に、投降した将軍房寛を後軍の将にして南下し京軍と向かい合った。

十一月、京軍の先鋒の陳暉が河を渡りて東~。燕王は兵を率いて到着し、河を渡るのが難しいのを見て黙祷していった、天よもし私を助けたいのであればどうか河の水を凍らせてくださいと。すると夜になって河の水は凍った。

燕軍は勇躍して進軍し、暉の軍を破った。

景隆の兵が動く。

燕王は左右の軍を展開し挟み撃ちにし、七つの営を破って景隆の営に迫った。張玉らも陣をつらねて進軍すると、城でもまた兵を出し、内からも外からも攻めた。景隆は支えることができずに逃れ、他の軍も兵糧を棄てて敗走した。

燕の将軍たちはここにおいて頓首して王の采配は誰も真似できませんと祝った。燕王はいった、これは単なる偶然だ、諸君の言った策はみな万全のものだったと。戦いの前には断言してその後では謙遜する。燕王が英雄の心を~。

 

※訳文中の〜は不明箇所。

 


【原文】

景隆の炳文に代るや、燕王其の五十万の兵を恐れずして、其の五敗兆を具せるを指摘し、我之を擒にせんのみ、と云い、諸将の言を用いずして、北平を世子に守らしめ、東に出でゝ、遼東の江陰侯呉高を永平より逐い、転じて大寧に至りて之を抜き、寧王を擁して関に入る。景隆は燕王の大寧を攻めたるを聞き、師を帥いて北進し、遂に北平を囲みたり。北平の李譲、梁明等、世子を奉じて防守甚だ力むと雖も、景隆が軍衆くして、将も亦雄傑なきにあらず、都督瞿能の如き、張掖門に殺入して大に威勇を奮い、城殆ど破る。而も景隆の器の小なる、能の功を成すを喜ばず、大軍の至るを俟ちて倶に進めと令し、機に乗じて突至せず。是に於て守る者便を得、連夜水を汲みて城壁に灌げば、天寒くして忽ち氷結し、明日に至れば復登ることを得ざるが如きことありき。燕王は予め景隆を吾が堅城の下に致して之を殱さんことを期せしに、景隆既に彀に入り来りぬ、何ぞ箭を放たざらんや。大寧より還りて会州に至り、五軍を立てゝ、張玉を中軍に、朱能を左軍に、李彬を右軍に、徐忠を前軍に、降将房寛を後軍に将たらしめ、漸く南下して京軍と相対したり。十一月、京軍の先鋒陳暉、河を渡りて東す。燕王兵を率いて至り、河水の渡り難きを見て黙祷して曰く、天若し予を助けんには、河水氷結せよと。夜に至って氷果して合す。燕の師勇躍して進み、暉の軍を敗る。景隆の兵動く。燕王左右軍を放って夾撃し、遂に連りに其七営を破って景隆の営に逼る。張玉等も陣を列ねて進むや、城中も亦兵を出して、内外交攻む。景隆支うる能わずして遁れ、諸軍も亦粮を棄てゝ奔る。燕の諸将是に於て頓首して王の神算及ぶ可からずと賀す。王曰く、偶中のみ、諸君の言えるところは皆万全の策なりしなりと。前には断じて後には謙す。燕王が英雄の心を攬るも巧なりというべし。