日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」30

【訳】

李景隆は大軍を率いて燕王を討とうと北上した。帝は北方を憂う必要はなくなったとして文治に専念し、儒臣の方孝孺らと周礼の制度を討論して日々を送ったがこの間において監察御史の韓郁(韓郁或は康郁)というものが時事を憂い上書を奉った。その内容は黄子澄と斉泰を非難し、残酷で愚かな儒者だといい、諸王は太祖の遺体である、孝康の手足であるとして、これを厚遇せず周王湘王代王斉王をして不幸な目に遭わせたことは朝廷のために計る者の過ちで~諺がいうところでは、親者之を割けども断たず疎者之を続げども堅からず、これはまことに道理だとなして、~願わくは斉王を許し、湘王を封じ、周王を京師に還し、諸王世子をして書を持し燕に勧めて、戦争をやめ親戚を大事になさって下さい、そうしなければ私が思うに十年を待たずして必ず後悔するでしょう、上書はそんな内容であった。その論、人の守るべき道を大事にし、動乱を鎮めようというのはよい、斉泰黄子澄を非とするのもよい、ただ機がもう去って勢いがすでに成った後でこうしたことを言ってもやはりもう遅い。帝はついにこの言を用いようとはしなかった。

 

※訳文中の〜は不明箇所。

 

【原文】

李景隆は大兵を率いて燕王を伐たんと北上す。帝は猶北方憂うるに足らずとして意を文治に専らにし、儒臣方孝孺等と周官の法度を討論して日を送る、此間に於て監察御史韓郁(韓郁或は康郁に作る)というもの時事を憂いて疏を上りぬ。其の意、黄子澄斉泰を非として、残酷の豎儒となし、諸王は太祖の遺体なり、孝康の手足なりとなし、之を待つことの厚からずして、周王湘王代王斉王をして不幸ならしめたるは、朝廷の為に計る者の過にして、是れ則ち朝廷激して之を変ぜしめたるなりと為し、諺に曰く、親者之を割けども断たず、疎者之を続げども堅からずと、是殊に理有る也となし、燕の兵を挙ぐるに及びて、財を糜し兵を損して而して功無きものは国に謀臣無きに近しとなし、願わくは斉王を釈し、湘王を封じ、周王を京師に還し、諸王世子をして書を持し燕に勧め、干戈を罷め、親戚を敦うしたまえ、然らずんば臣愚おもえらく十年を待たずして必ず噬臍の悔あらん、というに在り。其の論、彝倫を敦くし、動乱を鎮めんというは可なり、斉泰黄子澄を非とするも可なり、たゞ時既に去り、勢既に成るの後に於て、此言あるも、嗚呼亦晩かりしなり。帝遂に用いたまわず。