日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」25

【訳】

煙は盛んに昇り火はついに燃えだした、剣は抜かれて血は既に流された。燕王は堂々と旗を進め馬を出した。天子の暦を使わず、あえて建文の年号をやめて洪武三十二年と称し道衍を参謀とし、金忠を~として機密に参加させ、張玉、朱能、丘福を都指揮僉事をとし、張昺の部下にして内通した李友直を布政司参議となし、すなわち令を下して諭して言った、余は太祖高皇帝の子なり、今奸臣のために~。

~が言うには朝廷に正しい~がおらず内に~がいるのなら必ず兵を挙げて討ち君主側の悪を清めよと。そこで汝ら将兵を率いてこれを倒すのだ。罪人を得たら~にのっとろう。おまえたちは余の意を心して行動するようにと。

一方でこのように将士に宣言し、また一方では書を帝に奉って言った、皇考太祖高皇帝は百戦して天下を統一し、天子として君臨することとし、これを万世に伝えようとしてその子らに領地を与えて治めさせ、国を強固にして、盤石の計画を立てた。

それなのに奸臣の斉泰と黄子澄は害心を抱き、橚、榑、栢、桂、楩の五人の弟は数年もたたぬうちにそろって削奪させられた。中でも栢はもっとも気の毒で門~自分で火をつけた、~がいるというのにどうしてこんなことに耐えられようか。こうしたことは陛下の心からしたことではなく、実は奸臣のなしたところだろう。しかしそれでも足らないとばかり、今度は私にそんな仕打ちをしようとする。

私は領地を燕としてこれを守ること二十年余り、~高望みをせず、法を尊び自らの分に従ってきた。

まことに君臣の~、血を分けた近親であることを常に思い慎んできた。

しかし奸臣が跋扈し、禍を無辜の者に加え、私が~した者を捕らえてむち打ったり~拷問して~苦しめ~私が不埒なことを謀っていると言わしめついに宋忠、謝貴、張昺等をして北平城の内外に分け騎兵を街に、鉦と太鼓をあちこちで鳴らし私の王府を包囲した。既に護衛の者が貴昺を捕らえ始めて奸臣が~していることを知った。

ひそかに思うに私と孝康皇帝は同父母の兄弟で、今陛下に仕えていることは天に仕えるのようなものだ。たとえば大樹を伐るにまず枝を伐るようなもので親藩はすでに滅びたので朝廷は孤立しており、これで奸臣が志を得れば国家の危機である。私が~して~をみるに次のようなことが申せましょう、すなわち朝廷に~がおらず内に悪人がいるのなら親王は兵を訓練して命令を待ち、天子は密かに諸王に詔してこれを平定するための兵をまとめ討伐せしめよと。

こうした訳ですから私は謹んで頭を下げ命令を待ちましょうと言葉を飾り情理も鮮やかに申しあげた。

道衍は若い頃より学問を好み詩が巧く、高啓を友にもち~宋濂にも推奨され逃虚子集十巻を世に残すほど文才があったので道衍が筆を執ったのか、あるいは金忠が言葉を綴ったのか、いずれにしろ柔らかな物言いではあるがその中身は強腰で自分を守って他人を責める、大変力のある文章であった。いきなりこの書だけを読めば、王に道理があって帝には道理なく、帝に情はなく王に情があるようで祖霊も民意も帝のもとを去って王につくべきように思われる。されどもほしいままに謝張を殺しみだりに年号を取りさった、これのどこが法を大事にするというのか。~で兵器を作り、密室で陰謀を練る、これは分に従ってなどいない。君主の側の奸臣を一掃するのだといいながら詔なく挙兵し~土地を掠め取っている。言葉はよくても実際にやってることが悪い。

翻って思うに斉泰や黄子澄たちが諸王を削奪しようとしたのもまた道理に合わず、情にも薄いことである。そもそも諸王を~したのは太祖の意でしたことである。諸王がいまだ反逆してないというのに、諸王を削奪しようという腹づもりで諸王に接するのは上は太祖の意をないがしろにし、下は天子の一族をばらばらにするものである。三年間父の志を改変しなかったのは孝行であった。太祖が崩御して墓の土もまだ乾かないうちにすぐにその意を破り、諸王を削奪しようとするのは道理に欠け人情にも薄いとしかいいようがない。斉黄たちのするところがこのようなので、燕王らが何もせず~のもまた削奪の罪を免れなかった。太祖の血をひき、英雄豪傑の気性のあるものが、どうして頭を垂れ濡れ衣を着せられることに耐えられようか。瓜を投げて怒罵したのはたくらみがあったといっても全てが偽りであったというわけではなくもとより真情の人と言うに近いものがある。

結局の所両者それぞれに道理があり、また非理があるので~それぞれ情がなくそれぞれ真情があり~今となっては誰もその是非を判断できる者はいない。高巍の説の情にあついことは喜ぶべきことだが時既に遅く、卓敬の言うことは明晰で用いるに足るが時勢を変えるには難しく朝廷が非難するのと燕が反逆するのとはまことに仕方のないところがあった。これがいわゆる天命というものであろうか。

 

※訳文中の〜は不明箇所です。


【原文】

煙は旺んにして火は遂に熾えたり、剣は抜かれて血は既に流されたり。燕王は堂々として旗を進め馬を出しぬ。天子の正朔を奉ぜず、敢て建文の年号を去って、洪武三十二年と称し、道衍を帷幄の謀師とし、金忠を紀善として機密に参ぜしめ、張玉、朱能、丘福を都指揮僉事とし、張昺部下にして内通せる李友直を布政司参議と為し、乃ち令を下して諭して曰く、予は太祖高皇帝の子なり、今奸臣の為に謀害せらる。祖訓に云わく、朝に正臣無く、内に奸逆あれば、必ず兵を挙げて誅討し、以て君側の悪を清めよと。こゝに爾将士を率いて之を誅せんとす。罪人既に得ば、周公の成王を輔くるに法とらん。爾等それ予が心を体せよと。一面には是の如くに将士に宣言し、又一面には書を帝に上りて曰く、皇考太祖高皇帝、百戦して天下を定め、帝業を成し、之を万世に伝えんとして、諸子を封建したまい、宗社を鞏固にして、盤石の計を為したまえり。

然るに奸臣斉泰黄子澄、禍心を包蔵し、橚、榑、栢、桂、楩の五弟、数年ならずして、並びに削奪せられぬ、栢や尤憫むべし、闔室みずから焚く、聖仁上に在り、胡ぞ寧ぞ此に忍ばん。蓋陛下の心に非ず、実に奸臣の為す所ならん。心尚未だ足らずとし、又以て臣に加う。臣藩を燕に守ること二十余年、寅み畏れて小心にし、法を奉じ分に循う。誠に君臣の大分、骨肉の至親なるを以て、恒に思いて慎を加う。而るに奸臣跋扈し、禍を無辜に加え、臣が事を奏するの人を執えて、箠楚刺縶し、備さに苦毒を極め、迫りて臣不軌を謀ると言わしめ、遂に宋忠、謝貴、張昺等を北平城の内外に分ち、甲馬は街衢に馳突し、鉦鼓は遠邇に喧鞠し、臣が府を囲み守る。已にして護衛の人、貴昺を執え、始めて奸臣欺詐の謀を知りぬ。

窃に念うに臣の孝康皇帝に於けるは、同父母兄弟なり、今陛下に事うるは天に事うるが如きなり。譬えば大樹を伐るに、先ず附枝を剪るが如し、親藩既に滅びなば、朝廷孤立し、奸臣志を得んには、社稷危からん。臣伏して祖訓を覩るに云えることあり、朝に正臣無く、内に奸悪あらば、則ち親王兵を訓して命を待ち、天子密かに諸王に詔し、鎮兵を統領して之を討平せしむと。臣謹んで俯伏して命を俟つ、と言辞を飾り、情理を綺えてぞ奏しける。道衍少きより学を好み詩を工にし、高啓と友とし善く、宋濂にも推奨され、逃虚子集十巻を世に留めしほどの文才あるものなれば、道衍や筆を執りけん、或は又金忠の輩や詞を綴りけん、いずれにせよ、柔を外にして剛を懐き、己を護りて人を責むる、いと力ある文字なり。卒然として此書のみを読めば、王に理ありて帝に理なく、帝に情無くして王に情あるが如く、祖霊も民意も、帝を去り王に就く可きを覚ゆ。されども擅に謝張を殺し、妄に年号を去る、何ぞ法を奉ずると云わんや。後苑に軍器を作り、密室に機謀を錬る、これ分に循うにあらず。君側の奸を掃わんとすと云うと雖も、詔無くして兵を起し、威を恣にして地を掠む。其辞は則ち可なるも、其実は則ち非なり。

飜って思うに斉泰黄子澄の輩の、必ず諸王を削奪せんとするも、亦理に於て欠け、情に於て薄し。夫れ諸王を重封せるは、太祖の意に出づ。諸王未だ必ずしも反せざるに、先ず諸王を削奪せんとするの意を懐いて諸王に臨むは、上は太祖の意を壊り、下は宗室の親を破るなり。三年父の志を改めざるは、孝というべし。太祖崩じて、抔土未だ乾かず、直に其意を破り、諸王を削奪せんとするは、是れ理に於て欠け情に於て薄きものにあらずして何ぞや。斉黄の輩の為さんとするところ是の如くなれば、燕王等手を袖にし息を屏くるも亦削奪罪責を免かれざらんとす。太祖の血を承けて、英雄傑特の気象あるもの、いずくんぞ俛首して寃に服するに忍びんや。瓜を投じて怒罵するの語、其中に機関ありと雖も、又尽く偽詐のみならず、本より真情の人に逼るに足るものあるなり。

畢竟両者各理あり、各非理ありて、争鬩則ち起り、各情なく、各真情ありて、戦闘則ち生ぜるもの、今に於て誰か能く其の是非を判せんや。高巍の説は、敦厚悦ぶ可しと雖も、時既に晩く、卓敬の言は、明徹用いるに足ると雖も、勢回し難く、朝旨の酷責すると、燕師の暴起すると、実に互に已む能わざるものありしなり。是れ所謂数なるものか、非耶。