日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」20

 

【訳】

諸国がいよいよ削奪されるのが明らかになると十二月になって前軍都督府断事の高巍という者が上書して政を論じた。巍は遼州の出身で節を守り文章が上手かった。才能はそれほどでもないが性格良く、母の蕭氏に仕えて孝行し称賛され洪武十七年表彰された。

その言うところは正しく公平であって太祖は喜んで耳を傾けこれまた一個の好人物であった。

当時政務に当たっていた子澄、泰その他は皆諸王を減らす方向であった。ただ巍と御史の韓郁だけ意見が違っていた。巍が言うには~諸王に領地を与えて周囲を守りました。

しかし昔に比べると領地が広すぎ、諸王は尊大になって法を守りませんでした。

領地を削らなければ朝廷の定めた法が成り立たず、削れば~の恩を裏切ることになります。

昔、賈誼が言いました、天下が平和であって欲しいのであれば、諸侯を多くしてその権力を小さくするのが一番よいと。私が思いますに、今はその考えに従い晁錯の行った諸国の勢力を削る策をなしてはだめで、主父偃のした推恩の令にならった方がよろしい。西北を治める諸王の子弟は東南に領地を分け与えて支配させ東南にいる諸王の子弟には西北を分け与え、その領地を狭く城は大きくしてこれによって勢力を分断すれば、藩王の権力は削らずとも弱くなるでしょう。

どうか陛下、ますます~を盛んにして折々に祭って、~を絶やさぬようにし、賢者は詔をもって褒賞し、不法者は初犯ならこれを許し、再犯も許し、三犯も改めないとなってはじめて太廟に告げてその領地を削り、王位を奪えばどうして服従しない者がありましょう。帝はその通りだと申されたが情勢はすでに固まってしまい、削奪策に賛成の者ばかりであったので高巍の説は用いられることがなかった。

 

※訳の〜は不明箇所

【原文】

諸藩漸く削奪せられんとするの明らかなるや、十二月に至りて、前軍都督府断事高巍書を上りて政を論ず。巍は遼州の人、気節を尚び、文章を能くす、材器偉ならずと雖も、性質実に惟美、母の蕭氏に事えて孝を以て称せられ、洪武十七年旌表せらる。其の立言正平なるを以て太祖の嘉納するところとなりし又是一個の好人物なり。時に事に当る者、子澄、泰の輩より以下、皆諸王を削るを議す。独り巍と御史韓郁とは説を異にす。巍の言に曰く、我が高皇帝、三代の公に法り、嬴秦の陋を洗い、諸王を分封して、四裔に藩屏たらしめたまえり。然れども之を古制に比すれば封境過大にして、諸王又率ね驕逸不法なり。削らざれば則ち朝廷の紀綱立たず。之を削れば親を親むの恩を傷る。賈誼曰く、天下の治安を欲するは、衆く諸侯を建てゝ其力を少くするに若くは無しと。臣愚謂えらく、今宜しく其意を師とすべし、晁錯が削奪の策を施す勿れ、主父偃が推恩の令に効うべし。西北諸王の子弟は、東南に分封し、東南諸王の子弟は、西北に分封し、其地を小にし、其城を大にし、以て其力を分たば、藩王の権は、削らずして弱からん。臣又願わくは陛下益々親親の礼を隆んにし、歳時伏臘、使問絶えず、賢者は詔を下して褒賞し、不法者は初犯は之を宥し、再犯は之を赦し、三犯改めざれば、則ち太廟に告げて、地を削り、之を廃処せんに、豈服順せざる者あらんやと。帝之を然なりとは聞召したりけれど、勢既に定まりて、削奪の議を取る者のみ充満ちたりければ、高巍の説も用いられて已みぬ。