日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」13

七国の事、七国の事、嗚呼何ぞ明室と因縁の深きや。洪武二十五年九月、懿文太子の後を承けて其御子允炆皇太孫の位に即かせたもう。継紹の運まさに是の如くなるべきが上に、下は四海の心を繫くるところなり。上は一人の命を宣したもうところなり、天下皆喜びて、皇室万福と慶賀したり。太孫既に立ちて皇太孫となり、明らかに皇儲となりたまえる上は、齢猶弱くとも、やがて天下の君たるべく、諸王或は功あり或は徳ありと雖も、遠からず俯首して命を奉ずべきなれば、理に於ては当に之を敬すべきなり。されども諸王は積年の威を挟み、大封の勢に藉り、且は叔父の尊きを以て、不遜の事の多かりければ、皇太孫は如何ばかり心苦しく厭わしく思いしみたりけむ。一日東角門に坐して、侍読の太常卿黄子澄というものに、諸王驕慢の状を告げ、諸叔父各大封重兵を擁し、叔父の尊きを負みて傲然として予に臨む、行末の事も如何あるべきや、これに処し、これを制するの道を問わんと曰いたもう。子澄名は湜、分宜の人、洪武十八年の試に第一を以て及第したりしより累進してこゝに至れるにて、経史に通暁せるはこれ有りと雖も、世故に練達することは未だ足らず、侍読の身として日夕奉侍すれば、一意たゞ太孫に忠ならんと欲して、かゝる例は其昔にも見えたり、但し諸王の兵多しとは申せ、もと護衛の兵にして纔に身ずから守るに足るのみなり、何程の事かあらん、漢の七国を削るや、七国叛きたれども、間も無く平定したり、六師一たび臨まば、誰か能く之を支えん、もとより大小の勢、順逆の理、おのずから然るもの有るなり、御心安く思召せ、と七国の古を引きて対うれば、太孫は子澄が答を、げに道理なりと信じたまいぬ。太孫猶齢若く、子澄未だ世に老いず、片時の談、七国の論、何ぞ図らん他日山崩れ海湧くの大事を生ぜんとは。

 

七国のこと、七国のこと、ああなんと明と因縁の深いことであろうか。洪武二十五年九月懿文太子の後をうけてその子允炆が皇太孫の位についた。継承はまさにかくのごとくあるのが~天下の人民はみな喜び祝いの言葉を述べた。太孫は既に皇太孫となり、ゆくゆくは皇帝となる以上は、たとえ幼くとも、君主たるべく、諸王がいかに功をあげ人徳があろうとも、遠からず頭を垂れ命令を承るのであるから、道理上これを畏敬すべきである。されど諸王は積年の武力をたのみ、領土の広さに物を言わせ、かつ叔父であることを尊んで、不遜な事件を多発したので、皇太孫はどれだけ心痛し厭わしくお思いになったことであろうか。ある日東角門で 侍読の太常卿黄子澄というものに諸王の勝手なふるまいを告げて、叔父たちが広い領国や強い兵を従え、叔父であることをいいことに傲慢にも私に挑んでくる、先のこともどうなるかわからない、これにどう対処し制止すればよいかその方法を聞きたいとおっしゃられた。

子澄は名を湜、分宜出身で洪武一八年の科挙に首席で及第してからというもの順調に昇進してこの地位についたので経書史書に通暁しているのは確かではあったが世事に練達しているとは言うにはまだ足りず、侍読として昼夜講義していたので、皇太孫にただ忠義でありたく思い、こうした例は昔もあった、だが諸王の兵が多いとは言っても、もとは護衛のための兵で国を守るのに十分なだけでどれほどのことがありましょう、漢が七国の領地を削ったら七国が叛きましたがまもなく平定しました、帝直属の軍がひとたび動けば、誰が支えることができましょう、元々大軍と小軍の勢い、~おのずから違いがあるというものです、安心してくださいと漢の七国のことを引用して答えれば皇太孫は子澄の答えを、誠にもっともだと信じられた。皇太孫まだ若く、子澄まだ世事に疎く~、どうして思おうかそのうち山が崩れ海が湧くような一大事が起ころうとは。