打ちのめされるということ。
どんなことにも偉大なパイオニアというのはいるもので、こんなことしたのは自分が最初だろうと得意になってたら先人がとっくの昔にやっており、しかも自分よりはるかに上手にかつ徹底してやっていたのに気づいてがっくり、という経験がある。決して愉快ではないが成長するというのはおそらくそういうショックを受け鼻柱をへし折られることをも含んでいる。そうした打ちのめされた経験は裏を返せば自分がいかに真剣に挑み、かけがえのない時間を生きていたかという証でもあろう。
そこでやめるか否かはその人自身が決めればいいことで僕がとやかく言う筋合いはない。
ただどう決断しようと、それまでやったことが無意味だったと考えないで欲しいと願う。
自省自戒を込めて記しておく。