日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」6

女仙外史一百回は、清の逸田叟、呂熊、字は文兆の著すところ、康熙四十年に意を起して、四十三年秋に至りて業を卒る。其の書の体たるや、水滸伝平妖伝等に同じと雖も、立言の旨は、綱常を扶植し、忠烈を顕揚するに在りというを以て、南安の郡守陳香泉の序、江西の廉使劉在園の評、江西の学使楊念亭の論、広州の太守葉南田の跋を得て世に行わる。幻詭猥雑の談に、干戈弓馬の事を挿み、慷慨節義の譚に、神仙縹緲の趣を交ゆ。西遊記に似て、而も其の誇誕は少しく遜り、水滸伝に近くして、而も其の豪快は及ばず、三国志の如くして、而も其の殺伐はやゝ少し。たゞ其の三者の佳致を併有して、一編の奇話を構成するところは、女仙外史の西遊水滸三国諸書に勝る所以にして、其の大体の風度は平妖伝に似たりというべし。憾むらくは、通篇儒生の口吻多くして、説話は硬固勃率、談笑に流暢尖新のところ少きのみ。

 

女仙外史百回は、清の逸田叟、呂熊、字は文兆が著者で、康熙四〇年に起筆、四三年秋に脱稿した。本の形式は水滸伝平妖伝などと同じだがこの書の目的は、人としての道を世に知らしめ、忠義心を高めることにあるとして、南安の群守陳香泉の序文、江西の廉使劉在園の書評、江西の学者楊念亭の論文、広州の太守葉南田の跋文を得て世に出た。

虚実入り交じった話に戦争を挿入し世を憤る中にもかすかな神秘の趣を交えた物語である。西遊記に似ているがあれほど誇張してはおらず、水滸伝に近いが豪快さでは及ばず、三国志のようでもあるが殺伐さはあれより少ない。ただその三作の良いところを併せ持ち、一編の奇話を構成するところは女仙外史の西遊記水滸伝三国志より優れている所以でありその大体の有り様は平妖伝に似ている。残念なのは全編を通じて儒学者の言い回しが多くて、説話が堅苦しく談笑するによいのが少ないことのみである。