徒然草 第231段 感想
「百日の鯉がどうとか、もったいつけるな、やるならさっとやれ」
もっともな話である。
ただ同時に人のしたことを小うるさくアレコレ言う者はいつの世にもいるもんだなとも感じる。
ネットでも有名人の言動について色々評する人がいるけれどそれとよく似た感じだ
というのもこの段は論の運びにいささか無理があるからだ。
そもそもこの名人の話が前振りとして適切だったのか?
この人は料理だけが上手いのではない。
周りの気持ちをきちんと汲むことのできる人で、とっさに機転をきかせた結果が百日の鯉云々という「尾鰭をつけた」発言につながってしまったのである。
そのことは兼好もわかっていて、だからこそ「「ちょうどよい機会のように取りつくろうのもたいへん結構だ」と「譲歩」せざるを得なくなったのであるが、そんな話を前振りにすること自体既に良いとは言えない。
仮にこの名人がいかにも演出過剰のわざとらしい包丁さばきを見せ、どうだ凄いだろうおそれいったかとでも言ってたら違っていただろうが、百日の鯉だけでは持論を展開するには弱く、他人の言葉尻を捉えてアレコレいってる風に見える。
僕もそうだが、人間というのはこうした言わずもがなのことをつい言いがちだから余計、弁護したくなるのかもしれない。
わざとらしいのはダメ、素直が一番、というのはわかるけどね。
まあそんな訳で、初めて読んだときからピンと来ない。
同じような趣旨なら54 段の方がわざとらしさ全開な分ずっと明快で説得力がある。