日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語訳、読書日記その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

2022年2月 読書日記

2月28日(月)

・『紫式部日記』第20回朗読。「あなかしこ」の辺りはユーモラスに読んだつもりだがはてさて。次からは紫式部日記(8)【舟遊び・七日の産養】。

・【楽語薬語】に「先割れスプーン」「フォーク並び」を追加。後者のフォークへの見立てはうまいな。

2月27日(日)

・朗読以外でnoteに何か書いてみようかと思案中。ここもいいがとにかく広告が入るのが煩わしい。

2月26日(土)

・『紫式部日記』第19回朗読。今日は疲れてたがなんとかやれた。

・『100分de名著 薔薇の名前』読了。

・朝から『100分de名著 薔薇の名前』。ポイントを押さえた簡潔かつ平明な解説、また読み返したくなってきたな。本文が一部引用されているのだがその訳が明快で読みやすい。河島氏の訳よりいいのではないか。映画版のシーンもいくつか載っており、ますます観たくなってきた。ページ下に十分な余白があるので気づいたことをメモできるのは便利。今日中に読んでしまおう。

2月25日(金)

・以前買っておいたNHKテキスト『100分de名著 薔薇の名前』をようやく読み始める。大してボリュームないから一日で読めると思ってたけどなかなかどうして進まない。この本に限らず最近あまり一気読みとかしなくなったなあ。

・『紫式部日記』第18回朗読。いつもより準備に時間かかった。特に八人の女房の名を列挙してあるところの「源式部加賀のかみ」「左京のかみ」だのに一苦労。抑揚強弱に妙な癖がついてそれがなかなか直せなかった。ここの最後で紫式部若い女房たちの態度に批判的だが、こうした晴れがましい舞台ではやはり緊張するんだろうな。ご馳走のメニューが記されてないのが残念。

2月24日(木)

・『紫式部日記』第17回朗読。NHK古典講読の【五日の産養】に入った。前回までは中宮職主催の産養で今度は道長主催のそれ。

ここで出てくる屯食(とんじき)について調べた。

「とじき」とも読む。強飯(こわめし)を握り固めて鳥の卵のように丸く長くしたもの。屯は聚(しゅう)、「あつめる」の意。飯を握り集めたもの。現在の握り飯、弁当。皇子誕生や元服などの宴のとき、庭上に台などを出して、下郎たちにも賜るもの。「つつみいい」ともいう。『源氏物語』桐壺(きりつぼ)の巻にみえる。(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より)

今のおにぎりの原型かな?絵を見たらおにぎりとはかなり違ってたけど😅

2月23日(水)

・【楽語薬語】に「嘯く」(うそぶく)を追加。この動詞は知っていてもあまり使わないし日頃目にすることも少ない感じ。まあだからこそ載せたんですけどね。

・休日なので読書も朗読も休む。「ラブアクチュアリー」等好きな映画を観て過ごす。

2月22日(火)

・『紫式部日記』第16回朗読。次からは【五日の産養】。新しいところ入ると気が引き締まるから好き。どうでもいいが「産養」を「うぶやしない」ってさらりと読める方はどれだけいるのだろうか。

・『ワイルドスワン』の英語難しくない。割とすらすら読める。これは挑戦してもいいな。

2月21日(月)

・『紫式部日記』第15回朗読。今回は長めだった。「人の心の、思ひおくれぬけしきぞ、あらはに見えける。」(女房たちの思いの、人に負けまいとの様子がはっきりと見えたのであった)。紫式部の確かな眼。

・『生物から見た世界』の中にはあるクラゲの話が出てくる。傘の縁に釣鐘型の器官を8個ぶら下げているのだが、その鐘の音が命のリズムを作りだしその他の刺激は全て遮断されているのだという。鐘の音だけが鳴り響く世界に生きている、なんと奇妙な。無論このクラゲの環世界は多種多様な生き物たちの環世界の一つに過ぎない。

・起床後、何気なく庭に出たら薄く雪が積もり西の空に月がかかっていた。月の光にぼんやりと浮かび上がった庭、その木々の影を見るうち、紫式部たちの生きた平安時代の夜はもっと暗かったであろうと思った。もののけ魑魅魍魎が跋扈していたのもその暗さと無関係ではあるまい。

2月20日(日)

・「マトリックス」を最近観たせいもあってBBCのこの記事が面白かった。現実を再定義する者、と訳せばいいのかしら。The man rethinking the definition of reality https://www.bbc.com/future/article/20220216-the-man-rethinking-the-definition-of-reality

デイヴィッド・チャーマーズってどんな人?  http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=684344

・『現代経済学の直観的方法』第7章「ドルはなぜ国際経済に君臨したのか」読了。「世界を理想社会にしようという宣教師的・十字軍的な情熱」面白い表現をハントできた。

・『土 地球最後のナゾ』。北極の永久凍土についての説明。少々専門的で難しく飛ばしがち。

2月19日(土)

・『紫式部日記』第14回朗読。どうもこうした有職故実というか儀式についてはさっぱりだ。

・再び『日本はなぜ敗れるのか──敗因21カ条』から。

「以上のような体験しかない日本にとって、戦争という概念が「月で計算するもの」であって「年で計算するもの」ではなかったことは、明らかである。」

「従って、「日華事変」という言葉自体が、その勃発時における軍の首脳の理解の仕方と当時の一般人の常識を示している。従って、これを「日中戦争」と言いかえてしまうと、かえって上記の実情はわからなくなってしまう。これだけではないが、戦後のさまざまの「言いかえ」は、その真相を逆に隠蔽する役目しか果していない。」

何が「事変」だ、あれはまごうことなき「戦争」だったじゃないか、従って「日中戦争」と呼ぶのが正しいと戦後人は考え、実際そう呼ぶことが多いのだが、その言いかえが逆に「勃発時の常識」を覆い隠してしまう。勃発当時は8年に及ぶ戦争になるとは思っておらず、月単位で片がつくであろう「事変」にすぎなかったのだ。

NHK古典朗読の加賀美アナの「お手本」を聴いていると書道の名人と称される方の筆づかいを間近で見ている気がする。正確であるだけでなく自在。

・『日本はなぜ敗れるのか──敗因21カ条』から。

「そしてその基本にあるものの一つが、以上にのべた明治以降の奇妙な「通常性を把握しないことを通常性」とする性向、いわば、ある力に拘束されて自己の真の規範を口にできず、結局は、自分を含めてすべての人を苦しめる「虚構の自己」を主張することが通常性になっているためと仮定するなら、その拘束力を排除できなかったのは何のゆえで、何が欠如してそうなり、何を回復すればそれが克服できるのであろうか?」

「そして、この『虜人日記』のすべてを通じて、自由人の小松氏が、負の形で描き出したものは結局、自由という精神のない世界、従って「自由な談話」が皆無で、そのため、どうにもならなくなり、外部からの強力な打撃で呪縛の拘束が打ち破られて、そのとき、その瞬間だけその通常性の表出を可能にする世界だったわけである」

「戦後は「自由がありすぎる」などという。御冗談を! どこに自由と、それに基づく自由思考と、それを多人数に行〔な〕う自由な談論があるのか、それがないことは、一言でいえば、「日本にはまだ自由はない」ということであり、日本軍を貫いていたあの力が、未だにわれわれを拘束しているということである。」

最近、具体的にいかなる場面でその「拘束」が見えたかを自問せよ。単に見聞したことばかりでなく自らの言動を観察することで見える「拘束」もあるはずだ。村八分、仲間はずれにゃされたかねえ、奇人変人扱いされたくない。出る杭は打たれる、打たれるのは嫌だ、怖い。大人しくしとけば波風立たんぞ。みんな同じでみんないい・・等々。そうして「できない理由」探しについては誰でも天才だ。あれがダメならこれで、これがダメならそれで「できない」のである。できるできないではなくやるかやらないかだというのに。

2月18日(金)

カーネギー『人を動かす』を十年ぶりくらいに読んでたら、しばらく自分のことを考えるのをやめ他人の長所について考えたらどうかとあった。いいかもしれない。

・『紫式部日記』第13回朗読。【御湯殿の儀・三日の産養】へ。ますます難しい。史料的価値は高いのだろうけれど。

・『日本はなぜ敗れるのか──敗因21カ条』読了。卓抜した日本人論だった。

・ユクスキュルの説く生物の環世界の概念は、人間である自分にとって足場となる「確かなもの」とは何かを考える点でも役立つ。

・清水の舞台から飛び降りるだの捨て身の覚悟だのそんな大袈裟なものはいらない。必要に応じてサッと動けるフットワークがあればそれでいい。画面の前にじっとしてあれこれ考えているだけではケツは重くなる一方である。

宇治拾遺物語もそうだけれどインチキ坊主の話はなんでこんなに面白いのか。大体このへんの時代って何かに付けスキあれば出家、みたいなとこがあってそりゃインチキなのが増えるのも道理だ。そういや、うる星やつらの錯乱坊好きだったな〜

2月17日(木)

・『宇治拾遺物語』から「中納言師時、法師の玉茎検知の事」を朗読。爆笑しつつ読み終わって、「玉茎検知」でまた吹き出す二段構えの構成。何とも馬鹿げた話だがちっともジメジメしてない、この突き抜けた明るさが僕は好きなのだ。実におおらかな笑い。彼らが笑う時僕も笑い、僕が笑う時彼らも笑っている。そこに800年の隔たりを感じさせるものは何もない。

・『生物から見た世界』(岩波文庫)を読み返す。「どの主体も、事物のある特性と自分との関係をクモの糸のように紡ぎだし、自分の存在を支えるしっかりした網に織りあげるのである。」

2月16日(水)

・梅が香に追ひもどさるる寒さかな 芭蕉

まだ梅は咲いてないけどいい句。今夜は冷える。

・『紫式部日記』第12回朗読。もののけとの闘い。ものの〜け〜たち〜だけ〜♪読みながらなぜかもののけ姫の歌が頭の中をぐるぐる(^_^;)

・昨日見つけたフレーズ。「邪気を払う」と「死出の道を歩む」。

・vexillology 旗の研究、旗章学 

こんな英単語をハントした。具体的にどういう学問なのか後でチェックする。

2月15日(火)

・『現代経済学の直観的方法』第7章の続き。この章はボリュームあって読みでがある。

・『紫式部日記』第11回朗読。無事にご出産。母子ともに兼好、もとい健康、良かった良かった。みんなで祈ってた甲斐がありましたね。緊張が一気にとけた直後のレポートはユーモラスで読んでて楽しかった。

・『紫式部日記』読んでて気になった「うちまき」について調べた。

打撒(うちまき
祓の際や,神仏に参ったときなどに水に浸した米をまき散らすこと,またその米のこと。散米 (うちまき) とも書き,「さんまい」ともいう。祓に際してまくのは,米のもつ霊力で悪霊や災厄を防除し,心身や四囲を清めようとするためである。社前にまくのは神供としてであり,オサゴ (お散供のなまった語) などとも呼ばれる。賽銭箱が普及して,そこに銭を奉財する習俗が一般化したのは近世になってからであるといわれ,散米の習俗は,その一つ以前の姿を伝えるものである。(出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

米のもつ霊力、賽銭箱との関係・・なかなか奥深そう。

2月14日(月)

・『紫式部日記』第10回朗読。今日読んだところの直前の部分はNHK古典講読で原文をスキップしているので自分も同様にしている。

・最近英語を学習中どういうわけか「朝飯前」「楽勝」といった意味の語句を目にすることが多い。例えば a piece of cake, no brainer,a walk in the park,breezeそして今日出会ったcinch。まだ他にもあるかもしれない。

2月12日(土)

・『土 地球最後のナゾ』を久々に読む。これも面白いのだが今だに読み終えていない本の中の一冊。

・『現代経済学の直観的方法』第7章「ドルはなぜ国際経済に君臨したのか」。

・『紫式部日記』第9回朗読。相変わらず難解な文章が続く。前もって勉強してなきゃ、?の数が加速度的に増加していくだけ。

NHK古典講読の紫式部日記を聴く。ああやっぱり全文朗読してる訳じゃないのか。残念だがこの辺は自分も朗読をスキップしよう。この中宮彰子のお産前のてんやわんやの場面はマンガかイラストにすれば面白いと思うんだけどね、ってもうしてるかな。

2月11日(金)

・よりましになって怨霊がとり憑いちゃった女の子の身が心配だと思ってたら後でちゃんとお祓いすんのね、安心した。しかしそんな一々よりましとか大勢用意せずとも加持祈祷とかだけで一気に怨霊退散、調伏とはいかないのだろうか。この辺の論理というのはどうなってるのだろう。

・『紫式部日記』、今読んでるところの、もののけとの闘いは鬼気迫るものがある。紫式部のレポートは冷静かつ克明な筆致でそれをライブ感覚で伝えてくれる。まあ正直、ついてけないというか、千年前のそうした環境に生まれ育たないとわからないところもある。でもそういったわからない、ついてけない感覚って大事だとも思う。こういったことはすぐネットで「正解」つまり現代の言葉に翻訳しなおした解釈を読んで、ああなるほどでおしまいにしがちなんだけど、そうじゃなくもっとその訳のわからなさと向かい合ったらどうだ。当時と今との間に横たわる時空の隔たりをきちんと受け止めることがなければ深い理解にも繋がらない。浅薄なそれで終わるだけだ。

・朗読はもう少し一回に読む量を増やそうかとも思うが、負担に感じて続けられなくなるのが怖いんだ。朗読の他にもやりたいこと、やらなきゃいけないことあるし。人によってはうまいこと「ノリとハサミ」式の編集したりすると思うんだけど自分はそれ一切しないから。面倒だし実はそうした作業のやり方知らなかったりする。毎日NHK古典講読を聴き少しずつ学びながら少しずつ録音即公開、という今のやり方が性に合ってる。だから先の展開もろくに知らない。それが良い。

2月10日(木)

・『紫式部日記』第8回朗読をnoteにアップ。今日は太閤立志伝5Switch版の発売決定のニュースで舞い上がっちゃってブログ書くの遅れた。いかん地に足つけなきゃ。

2月9日(水)

・『紫式部日記』第7回朗読をnoteにアップ。中宮彰子の出産が近づいてきた。それで加持祈祷をするのはいいけれど、騒々しい中でお産とか大丈夫なのかと余計な心配しちゃう。ストレス溜まらないのかね。身分の高い女性の場合はみんなこんな風だったのか?

・朗読のためNHK古典講読を聴く。島内先生の話を聴くうち「よりまし」なる語が。なんだコレ?何となく「よりしろ」と似ているようだけど。ググる

・昨日と同じやり方をなぞってるだけでは昨日と同じ一日になる。同じことをやるのでも別のやり方はないか常に探し、工夫するよう心がける。

・漫画で見た映画で見たどっかで見た。そんな客の記憶を呼び起こす予定調和のストーリーライン。彼らがそれらを基にこうなるだろうという予想をつけるからこそ予想外の展開、どんでん返しが成り立つ。

・どこまで自分のリミッター外してるか?アクセルちゃんと踏み抜いてるか?勝手に限界設けてないか?

2月8日(火)

・『紫式部日記』第6回朗読をnoteにアップ。アップしたらnhkfmのベストオブクラシックを聴くというのが最近のパターン。

・文鎮のことを英語ではpaperweightという。直訳だと「紙の重し」でそのまんまだが何かちっとも重い気がしない。なぜだろうと考えたら「(一枚の)紙の重さ」と読み違えているからのようだ。名がよく実を表してないように感じられる一例だ。それにしても日本語の「文鎮」の方がずっと奥ゆかしく粋だと感じられるのは僕だけか。

paperweightは本来の文鎮の他にも意味があってググったらこんなのが載っていた。

〈俗・比喩的〉文鎮、何の役にも立たない[立たなくなった]品◆コンピューターや周辺機器のパーツのうち、壊れてしまったもの・使えなくなったもの・ひどく使いにくいものなど。

スマホタブレットの「文鎮化」の文鎮ですね。アップデートしたら文鎮になっちまったよもうカップ麺の蓋押さえるのに使うくらいしかねえ〜(泣)みたいな。

・読書日記と銘打ってるがどうも窮屈だったりするんであまり読書には関係ないことも書いていこうかと思う。今までも映画の話とかしてたけどね。

2月7日(月)

紫式部はこれを誰のために書いたのか?道長?それとも他の誰か?はたまた自分が書きたかっただけだろうか?読むにつれ疑問が膨らんでくる。

・『紫式部日記』第5回朗読をnoteにアップ。今回はいつもより読むのが早口だったかな。

・『紫式部日記』。中宮彰子の出産が近づいて何かとバタバタ。そんな折にのんびり昼寝してた友人にいたずらをする紫式部。寝起き顔に萌えってお茶目だね。

・『現代経済学の直観的方法』が全然進まない。とっくに読了してもいい頃なのに。

2月6日(日)

・ここでの藤原頼通(17歳)は読んだ限り特に背伸びしてるように見えない。もし無理に大人ぶっていたらめざとい紫式部は気づいていた筈。にしても83歳まで生きたのか。当時としてはかなりの長生きだ(父親の道長は62歳)

・「かばかりなる事の、うち思ひ出でらるるもあり、その折は、をかしきことの過ぎぬれば、忘るるもあるはいかなるぞ。」

(このような事で、ちょっと思い出されるものがあって、その時はおもしろかったことでも、時がたつと忘れてしまうこともあるのは、どうしたことだろうか)

いきなりエッセイ風になって思わず^ ^なんとなく徒然草第71段「名を聞くより」を思い起こす箇所。まああっちは既視感の方だけどね。記憶は不思議だ。すげえ面白かったから絶対忘れんわと思ってもじきに忘れちゃったり、その逆にさっさと忘れてしまいたいこと、どうでもいいようなことをいつまでも覚えていたり。そうした記憶をふとした瞬間に思い出し、辛くてなんなんと思ったりする。辛い記憶をさっと忘れられるのなら世界の酒の消費量は多少減るんじゃないか。

紫式部日記 原文・訳(PDF)

https://www.culturebeanz.com/entry/2020/01/15/232747/

YouTubeNHK古典講読」

https://www.youtube.com/watch?v=pXYAkReOsz0

僕が朗読するのにお世話になっているテキスト&講義。どっちも非常に有難い。依拠する写本の違いか、所々読みに違いがあるが島内先生の講義の方のテキストに合わせて修正すれば朗読するに問題なし。こういうのってよくあるからもう慣れた。

2月5日(土)

・『紫式部日記』第4回朗読をnoteにアップ。順調順調。我ながらようやっとる。明日は日曜だし休むかもしれんけど。

・雅俗のバランスをとりたい。今読んでるのは王朝文学の「雅」ばかりだから偏って飽きが来る。庶民のごった煮エネルギー爆発の宇治拾遺物語に惹かれるのはそれもあるんだよね。

・どこか険のある紫式部と比べると孝標女はおっとりしてるなと。あまり人の悪口を言わない印象だ。ひょっとして伯母さんの「蜻蛉日記」を意識していたのかもしれない。

2月4日(金)

・やはりこの日記は源氏物語との関わり合いが強い。「ここは源氏物語の〇〇のシーンを思い出します」とか島内先生に解説されると未読の自分は?で損したような気になる。やっぱ読まなきゃだめかなあ。更級日記でもそうだったけど。

・『紫式部日記』の朗読第3回をnoteにアップ。いきなり藤原道長(この時43歳で左大臣、権力の絶頂へと向かっている時期)が登場。ここは本当驚いた。そんなに紫式部と仲良かったのかって。こうしたことは詳しい方には常識なんだろうけど、無知な自分にはゴシップ誌の熱愛発覚!的な驚きがあった。調べてみると道長の愛人ではなかったみたいだ。ただ道長のバックアップがあったからこそ源氏物語を書き続けられたのは確かなようである。

2月3日(木)

・終日眠くて今日はろくに読書しなかった。

・『紫式部日記』第2回朗読をnoteにアップ。精緻で格調高い反面、難解でとっつきにくい。しっかり内容理解した上でメリハリつけないと棒読みになりやすいな。【ここまでの感想】→冒頭から景情融合で早くも「あはれ」が使われ、日本人の自然観が窺える。同じ頃の西洋だったらこんなふうに自然がウェイトを占めることってないと思うんですよ。大抵神と人間あるいは人間同士の関係に重きが置かれ、自然はせいぜい背景になってるにすぎない。その意味でいかにも由緒正しい日本「文学」の源流に触れたような印象。とはいえまだ冒頭だから、これから読み進むにつれ変わってくるかもしれない。

・少し読んだだけでも理知的で悟性の人だという気がするな>紫式部。観察眼が鋭くて他者と親しくなっても常に一定の距離を置いている感じ。

2月2日(水)

・『紫式部日記』の朗読第1回目をnoteにアップ。『更級日記』に引き続き今回も「NHK古典講読」で勉強した。良かったら聴いてみてください🙇‍♂️

・『紫式部日記』朗読の準備中。『蜻蛉日記』にしようかと散々迷った末こっちにした。

・動画でもなんでも「〜の歴史」だの「〜の日常」とタイトルのつくものはたいてい面白い。

・『フーコーガイドブック』(ちくま学芸文庫)。以前買ったきり読んでないと思ってたらところどころに線が引いてあった。多少は目を通してるらしい。

・『1917』の街での某シーン。あれ明らかに弾当たってないか?当たってるのになぜあんな風に走れるのか?見るたび首を傾げてしまう。

2月1日(火)

Twitterの読書垢で新しく英単語の暗記を始めた。英検1級レベルのやつを毎日1〜3語。英検やTOEICを受験する予定はないがネットの英文記事をどんどん読んでいきたいんだよね。途中で飽きたり嫌になったらさっさとやめる^ ^