日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」33

【訳】

以前上奏して諸藩を削るのを諫めた高巍は、言が用いられず、ついに天下動乱になったのを嘆いて、書を奉って、私をどうか燕に使わして一言述べさせてくださいと願い、許されて燕に至り、書を燕王に奉った。

 

その概略はこうである。

太祖が亡くなってから大王と朝廷とが不和になろうとは思ってもみなかった。私が思うのに戦争をするより和解したほうがいい。願わくは自分は死んでもいいから大王に謁見したい。昔、周の周公は流言を聞いて〜。もし大王が首謀者を斬り、護衛兵を解き、子孫を人質にし、~の疑いをとき、残った賊が仲違いさせようとする口を塞げば、周公のように~。

それなのにこのことに考慮を及ばせなさらず、出兵し~を襲いになった。〜

今大王は北平を拠点とし数郡を取りましたが、この数ヶ月でなお小さなかたすみの地を出ることができず、これを天下と比較すれば、十五のうちまだその一をも所有していない。

大王の将士も、疲れてないことがありましょうか。

大王の統率される将士も大体三十万を越えることはないでしょう。

大王と天子は君臣であり親も血がつながっているのに、なお仲が悪い、三十万の~どうして ~殿下のために死なねばならぬことがありましょう。

自分はこう思うごとに大王のために泣けてしかたない。

願わくば大王私の言葉を信じて、上表し謝罪して武具を脱ぎ兵を休めなされば朝廷も必ず罪をお許しましょう、天も人もともに喜んで、太祖の霊もご安心されるでしょう。

もし迷い小さな勝ちに拘り、大義を忘れ、少ない兵で大軍に刃向かい、やってはいけない道理に外れたことを~をしたなら私は大王のためにもう何も申すことを知りません。

まして喪に服す期間もまだ終わらぬのというのに、無辜の人民は驚いております。

仁を求め国を守るの道理と隔たりがあるのも甚だしい。

大王に朝廷を粛清する誠意がありましょうとも天下に嫡流を簒奪するのに異議がないわけがないでしょう。

もし幸いに大王がお敗れにならず簒奪に成功したとすれば後世の世論は大王をどのような人と言うでしょうか。

自分はもはや白髪の書生でもうじき死ぬはかない命で、もとより死を怖れてはおりません。

洪武十七年、太祖高皇帝のご恩を受けて~

孝に死に忠に死ぬのは自分の望むところです。

幸いにも天下の為に死んで太祖の霊に見えることができれば自分も恥ずべきことはありません。

自分は真心からこう申しておるので

~死を賜っても悔いはありません、どうか大王考え直してください、とはばかることなく申し上げた。

 

しかし燕王はお答えにならなかったので数回書を奉ったがすべて効果はなかった。

巍の上書は人情の純、道理の正しさという点で優れたものである。燕王がこれに対しどう思ったかはわからない。ただ燕王はすでに決起し開戦したのであって、巍の言葉はもっともだが、大河はもう決壊し一本の葦がこれを支えるのは難しい。

だが巍は誠実を尽くし信念をもって申し上げたのであってその心と言葉は忠孝敦厚の人というにそむいていない。

数百年後でも、なお読む者を悲しませるものがある。

巍と韓郁とは建文の時、人情の純粋さと道理の正しさにおいて言を為した者たちである。

 

※訳文中の〜は不明箇所。


【原文】

前に疏を上りて、諸藩を削るを諫めたる高巍は、言用いられず、事遂に発して天下動乱に至りたるを慨き、書を上りて、臣願わくは燕に使して言うところあらんと請い、許されて燕に至り、書を燕王に上りたり。

其略に曰く、太祖升遐したまいて意わざりき大王と朝廷と隙あらんとは。臣おもえらく干戈を動かすは和解に若かずと。願わくは死を度外に置きて、親しく大王に見えん。昔周公流言を聞きては、即ち位を避けて東に居たまいき。若し大王能く首計の者を斬りたまい、護衛の兵を解き、子孫を質にし、骨肉猜忌の疑を釈き、残賊離間の口を塞ぎたまわば、周公と隆んなることを比すべきにあらずや。然るを慮こゝに及ばせたまわで、甲兵を興し彊宇を襲いたもう。されば事に任ずる者、口に藉くことを得て、殿下文臣を誅することを仮りて実は漢の呉王の七国に倡えて晁錯を誅せんとしゝに効わんと欲したもうと申す。

今大王北平に拠りて数群を取りたもうと雖も、数月以来にして、尚蕞爾たる一隅の地を出づる能わず、較ぶるに天下を以てすれば、十五にして未だ其一をも有したまわず。大王の将士も、亦疲れずといわんや。それ大王の統べたもう将士も、大約三十万には過ぎざらん。大王と天子と、義は則ち君臣たり、親は則ち骨肉たるも、尚離れ間たりたもう、三十万の異姓の士、など必ずしも終身困迫して殿下の為に死し申すべきや。巍が念こゝに至るごとに大王の為に流涕せずんばあらざる也。

願わくは大王臣が言を信じ、上表謝罪し、甲を按き兵を休めたまわば、朝廷も必ず寛宥あり、天人共に悦びて、太祖在天の霊も亦安んじたまわん。倘迷を執りて回らず、小勝を恃み、大義を忘れ、寡を以て衆に抗し、為す可からざるの悖事を僥倖するを敢てしたまわば、臣大王の為に言すべきところを知らざる也。況んや、大喪の期未だ終らざるに、無辜の民驚きを受く。仁を求め国を護るの義と、逕庭あるも亦甚し。大王に朝廷を粛清するの誠意おわすとも、天下に嫡統を簒奪するの批議無きにあらじ。

もし幸にして大王敗れたまわずして功成りたまわば、後世の公論、大王を如何の人と謂い申すべきや。

巍は白髪の書生、蜉蝣の微命、もとより死を畏れず。洪武十七年、太祖高皇帝の御恩を蒙りて、臣が孝行を旌したもうを辱くす。巍既に孝子たる、当に忠臣たるべし。孝に死し忠に死するは巍の至願也。巍幸にして天下の為に死し、太祖在天の霊に見ゆるを得ば、巍も亦以て愧無かるべし。巍至誠至心、直語して諱まず、尊厳を冒涜す、死を賜うも悔無し、願わくは大王今に於て再思したまえ。と憚るところ無く白しける。

されど燕王答えたまわねば、数次書を上りけるが、皆効無かりけり。

巍の書、人情の純、道理の正しきところより言を立つ。知らず燕王の此に対して如何の感を為せるを。たゞ燕王既に兵を起し戦を開く、巍の言善しと雖も、大河既に決す、一葦の支え難きが如し。しかも巍の誠を尽し志を致す、其意と其言と、忠孝敦厚の人たるに負かず。数百歳の後、猶読む者をして愴然として感ずるあらしむ。

魏と韓郁とは、建文の時に於て、人情の純、道理の正に拠りて、言を為せる者也。