日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」23

【訳】

天か時か燕王の胸中には暴風吹き荒れ黒雲も飛びたいと欲し、張玉、朱能らの猛将梟雄も眼底に閃光閃いて雷も走るばかりであった。燕府に殺気が満ちるに際して天もまた応じたか、それともそういう時機であったか、強風に豪雨が突然襲った。

ひゅうひゅうと吹き起こり、ごうごうと鳴って吹き荒れる風はどっと降り出し、ざあざあ地に降り注ぎ、地を叩く雨と一緒になって天地を震撼させ樹石を揺り動かした。
燕王の宮殿は堅牢ではあったが風雨の力は大きく、高閣の瓦が空中に翻ってばらばらと地に落ちて割れた。
大事にとりかかろうとするのになんたる不吉な。
さすがの燕王も嫌な気持ちになって顔色も冴えず、風と雨の音、竹の折れる音、木の裂ける音、凄まじい天地の様子を眺めて痛ましくて一言も口をきかず、王の周囲の者もまた静まりかえってなにも言わなかった。

そのとき道衍は少しも驚かずああこれは喜ぶべき吉兆だと言った。もとよりこの異僧道衍は ~に惑うような未熟者ではなく心臓に毛の生えたような不敵の傑物なので以前燕王に勧めて反逆するようとしたとき、燕王が彼は天子であり人民を思っている彼に反逆するのはどうだろうかと言ったのを昂然と私は天道を知っております、どうして人民の心など論じましょうかと言ったほどの豪傑であった。

しかし風雨が瓦を落とした。この場においての吉事とも思えぬことをああ喜ぶべき吉兆だというのはあまりの強がりに聞こえたので燕王も堪えかねて和尚なにをいうのか、どこに吉兆があると思わず~罵った。道衍は騒がず、殿下聞いたことはありませぬか、飛龍が天にあれば風雨がこれに従うといいます、瓦が落ちて砕けたのは天子が変わるということですと泰然としてこたえたので王は急に眉を開いて喜び、周りの将たたちも皆どよめきたって勇んだ。~制度では、天子の~は~黄色い瓦を使った、古い瓦など不要、まさに黄色い瓦にかわらなくてはという道衍の一言は、このとき人を活かす剣となって、燕王と宮中の士気を一気に高めすぐにでも天下を呑むような勢いを生ぜしめた。

 

※訳文中の〜は不明箇所。

 

【原文】

天耶、時耶、燕王の胸中颶母まさに動いて、黒雲飛ばんと欲し、張玉、朱能等の猛将梟雄、眼底紫電閃いて、雷火発せんとす。燕府を挙って殺気陰森たるに際し、天も亦応ぜるか、時抑至れるか、颷風暴雨卒然として大に起りぬ。蓬々として始まり、号々として怒り、奔騰狂転せる風は、沛然として至り、澎然として瀉ぎ、猛打乱撃するの雨と伴なって、乾坤を震撼し、樹石を動盪しぬ。燕王の宮殿堅牢ならざるにあらざるも、風雨の力大にして、高閣の簷瓦吹かれて空に飄り、砉然として地に堕ちて粉砕したり。大事を挙げんとするに臨みて、これ何の兆ぞ。さすがの燕王も心に之を悪みて色懌ばず、風声雨声、竹折るゝ声、樹裂くる声、物凄じき天地を睥睨して、惨として隻語無く、王の左右もまた粛として言わず。時に道衍少しも驚かず、あな喜ばしの祥兆や、と白す。本より此の異僧道衍は死生禍福の岐に惑うが如き未達の者にはあらず、膽に毛も生いたるべき不敵の逸物なれば、さきに燕王を勧めて事を起さしめんとしける時、燕王、彼は天子なり、民心の彼に向うを奈何、とありけるに、昂然として答えて、臣は天道を知る、何ぞ民心を論ぜん、と云いけるほどの豪傑なり。されども風雨簷瓦を堕す。時に取っての祥とも覚えられぬを、あな喜ばしの祥兆といえるは、余りに強言に聞えければ、燕王も堪えかねて、和尚何というぞや、いずくにか祥兆たるを得る、と口を突いてそゞろぎ罵る。道衍騒がず、殿下聞しめさずや、飛龍天に在れば、従うに風雨を以てすと申す、瓦墜ちて砕けぬ、これ黄屋に易るべきのみ、と泰然として対えければ、王も頓に眉を開いて悦び、衆将も皆どよめき立って勇みぬ。彼邦の制、天子の屋は、葺くに黄瓦を以てす、旧瓦は用無し、まさに黄なるに易るべし、といえる道衍が一語は、時に取っての活人剣、燕王宮中の士気をして、勃然凛然、糾々然、直にまさに天下を呑まんとするの勢をなさしめぬ。