日日遊心

幸田露伴の歴史小説【運命】の現代語勝手訳その他。Done is better than perfect.無断転載お断り。

幸田露伴「運命」3

定命録、続定命録、前定録、感定録等、小説野乗の記するところを見れば、吉凶禍福は、皆定数ありて飲啄笑哭も、悉く天意に因るかと疑わる。されど紛々たる雑書、何ぞ信ずるに足らん。仮令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従いて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ。かつや人の常情、敗れたる者は天の命を称して歎じ、成れる者は己の力を説きて誇る。二者共に陋とすべし。事敗れて之を吾が徳の足らざるに帰し、功成って之を数の定まる有るに委ねなば、其人偽らずして真、其器小ならずして偉なりというべし。先哲曰く、知る者は言わず、言う者は知らずと。数を言う者は数を知らずして、数を言わざる者或は能く数を知らん。

 

定命録、続定命録、前定録、感定録等、小説や野史の記すところを見れば吉凶や禍福はすべて定まった天命があり飲み食いや泣いたり笑ったりもすべて天意によると疑ってしまう。だが数ばかり多いこうしたくだらない本がどうして信じるに足ろうか。とたとえ天命があるとしても測りがたいのが天命である。測りがたい天命を畏れて、巫女や占い師の手合いの前に頭を垂れるより、知るべき道に従い、古の聖人や賢人の教えのもとに心を安んじた方が良い。そもそも人間の情として失敗した者は天命だと言って嘆き、成功した者は自分に力があったからだといって誇るのが常である。そのどちらも品性下劣である。失敗しても自分に徳が足りなかったせいだとし、成功してもそれを天命がそうしてくれたのだとすれば、その人は偽物ではなく本物で、人としての器も小さくなく偉大であると言うべきだ。かつて先哲は言った、知る者は言わず、言う者は知らずと。天命を言うものは天命を知らず、天命を言わない者はかえって天命をよく知っている。